タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

私のタイ古式はもはやタイ古式ではないのだろうか?

タイ古式マッサージサロンの面接に行くと必ず「物足りない」と言われる。

昨日、店長さんのはからいでいきなり60分の新規のお客様のタイ古式をやることになった。手技は一切変えず、いつものように仰向けの型のないタイ古式にした。お客様は体格のいい男性で寝息が聞こえてきて、最後にはLOMがよく回った時に出る「魚の呼吸」もあった。疲労感の原因と思われる症状をお伝えすると、お客様も「その通りです」と言っていたけど、技術面を問うアンケートは「悪い」という評価だった。せっかくの新規のお客様だったが、私のせいでもう次のご来店はないかも、、、。

店長さんのように体幹や筋肉のほぐしを意識したストレッチ系の型に変更するべき?研修料金を支払って、1から手技を学びなおし、お客様に求められるタイ古式に切り替えるべきなのだろうか?果たしてそれは私のやりたいことなのか?そもそも私のタイマッサは誰かに必要とされていたのだろうか?帰りの満員電車の中で色々考えると悲しくなった。沖縄での忙しかった日々はもう過去のことで、今の私には何も残っていない。それでも私の気持ちは既に決まっている。宮城先生のナーブタッチに出会った時から「この手技しかない!」と思ってずっとやってきたし「受け入れてもらえない」という現象は過去にも山ほどあって、それでも気にしないでここまで来た(笑)。

それにしても面接をしていただいた店長さんのタイマッサは凄かった。筋肉の反応を読み取り、呼吸に合わせて良い加減に圧やストレッチを調整しながら身体をほぐしていく。きっと身体のことを知り尽くしているのだろう。痛みや刺激は必要最低限で緊張から解き放たれていく感覚があった。今まで受けたタイ古式の中では間違いなくナンバーワンの腕だった。でも、私が今後店長さんの研修を受けたとしても、彼のようにはなれないだろう。なんせ私はタイ古式をやったことのない人同然の下手クソさなのだから。先月働いたほぐし専門サロンの店長さんも知識や技術は抜群だった。もちろん師匠の宮城先生も凄い!何が凄いかってお客様の不調に合わせた施術をしないところが凄い。腰が痛かろうが、首が痛かろうが、その部位にアプローチするテクニックなど一切加えず、型も変えず、症状の改善が巻き起こる。曖昧ではっきりしない感じでその時をやり過ごしてしまうところが素晴らしい。私はそんな先生に「型もやりたいものだけでいいし、覚えなくてもいい」と教わってきたのだから、タイ古式が下手クソなのは当たり前なのだ。では私の習得したタイ古式とは一体何なのか?ナーブタッチは「何かを成し得たい」という欲をコントロールするためのトレーニングで、欲を捨て、何かを目指さないようになれた者には受け取ることができるギフトがある。タイ古式の中には無限の可能性があり、それらはひとつの方向だけを見ないことによって視えてくるもの。症状の改善はギフトのほんの一部でしかなく、その目的に向かっていくと他のギフトがあることに気がつかなくなってくなってしまう。

というワケで、私は自分の手技を変えずに受け入れてもらえる場所を探していく。自分のタイマッサができる所ならばどこでもいいし、何でもいい。そんな所はないかもしれないけど、あるかもしれない。私もブッタのように多くの素晴らしい師匠に出会いながら、修行しながら、自分の行きつく先を目指していこう。ただし、どこを目指していくのかは決めずに歩んでいく。

久しぶりに聖☆おにいさんでも読もうかな。イエスとブッタはとなりの立川に住んでいる。確かブッタがタイマッサージを受けに行く話があったはず。でもそのタイ古式マッサージは私の知っているそれとは違っていたっけ…。あ~ぁ、なんだか切ない。