タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

新しい旅のはじまり

思いは貫けない(こともある)。なぜならそこには流れがあるから。

果たして私の考えや要望は通るのか、通らないのか?

それはやってみなければわからない。

これでいいのか?

この流れは何を意味するのだろうか?

それらを判断するのも判断できるのも自分しかいない。

私は自分の軸をタイ古式マッサージで作ってきた。サマディで師匠の宮城先生より見聞きした真理「そんなことが本当にあるのだろうか?」といったことを日々のご予約の中でお客様より見せてもらい、聞かせてもらった。

ただ、タイ古式の真髄を知るまでの間は辛かった。技術が身につかない曖昧で中途半端な状態がいつまで続くかわからない、というのが嫌で何度も辞めたくなった。でも、翌日にはしれ~っと同じことを繰り返していた。辛いけど嫌いじゃない。感覚が真理に近づいていきそうでいかない感じが面白かったから辞められなかったし諦めたくなかった。でも、そう強く思うと風は遠のいていくので、自分の気持ちに折り合いをつけながらやり過ごしているうちに、いつの間にか「タイ古式はこんなもの」というのを頭ではなく腹で感じるようになり、腹部のバンタ(チャクラ)が使えるようになるとバンタでセンに触れ、深層の風が私に近づいてくるようになった。そこにたどり着いた後は自分のタイ古式に迷いがなくなった。先生の言っていたこと、自分の感じていたことなどをお客様からも見聞きする中で「これは本当にお釈迦様のマッサージなのかもしれない☆」と思うようになった。

「なぜこんなにも今自分の直面している問題についてタイムリーにヒントや答えが用意されているのだろう?」

毎回不思議だな~と感じている間にサティは時々降ってくるものではなく、毎回降ってくるようになっていた。

コンスタントにご予約が入り「ルナサンのタイ古式、好きですよ。これはこれでいいですし、ありですよ」という風に導かれ、私の思いは現実のものとなった。

押して引いて近づいて離れてというシンプルな技を繰り返すことで、物事を広く浅く狭く深く感じるようになり「諦めないけど執着しない」という不思議な軸が作られて「その時」がくるタイミングを待つチカラも身についた。タイ古式の時間はお客様とおしゃべりしながら(会話しない場合は波動に触れながら)今自分がやるべきことや少し先のやるべきことを考えている。で、その後の「決断する」という行いに迷うことなくシフトしていった。

おしゃべり、考え事、うたた寝(瞑想)、風の精霊、サティそして心と身体の変化、改善。

色々な要素が詰まっているからこそ「こうだ」とは言えないタイ古式マッサージ

「そういうこともあるかもしれません」

「そうかもしれません」

「どっちつかず」は適当でとても心地いい慈悲のコトバ。

曖昧さはやさしさ。私はそう感じる。

だから「どちらでも好きに自由に」という答えが好き。

可能性や答えは無限にあるのだから「こうだ」と決める必要などない。

 基本、人生の決断はどちらでもうまくいくが、絶対に諦められない信念がある時は自分や流れを信じてみることにしている。魂が求める純粋な欲ならきっと望みは叶う。強くて激しい風と同時に崇高なチカラが働くに違いない。でも、強風に吹き飛ばされてしまうと、当初の目的地とは違う場所に到着することもある。

それはつまり

思いは貫けない(こともある)。なぜならそこには流れがあるから、なのだけど、それはそれで自分に吹いてきた風の流れにシフトチェンジしてその風に乗ればいいだけなのだ。

こんな単純なことに気づくまでに9年はかかった。

さて、東京でこのタイ古式マッサージをやれる場所はあるのだろうか?

沖縄以外の場所で私のタイ古式マッサージは受け入れてもらえるのだろうか?

私の旅は旅はまだまだ続く♪