タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

タイ古式マッサージの深い話

タイ古式マッサージとは何か?」を知るために習ったことや覚えたことを忠実に再現したり、師匠のマネをしてみたりするのだが、いつまで経っても師匠のようにはなれない。

複雑な感情の波をいくつも越えながらタイ古式を続けていると、「私は私のタイ古式でいいのだ」と思えるようになった。でもそれは師匠とようやく同じ立ち位置に立ったとか師匠を超えたということではなく「私は師匠を越えられない」と心底諦めた時に、センの感触、風の質などがつかめるようになり、タイ古式が上手くなった。

「師匠のようになりたい」という思いは常にあるが「師匠を超えること」が私の目標や目的ではない。そんな目的を設定してしまうと風は私に近づいてこない。タイ古式は自己実現のためには役に立たない上に「なぜその目的が必要なのか?」と魂の純粋な部分に揺さぶりをかけてくる。

「師匠をいつまでも追い続けていきたい」

このピュアな気持ちがあるからこそ、私は日々タイ古式に向き合える。

絶対に諦めない日々が経験となり自信となり、そのプロセスの中で自分を認めることができた時、ようやく私は本当の自分や素のままの自分に出会った。時間の経過で言うと10年はかかったと思う。

自分や店の方向性が定まらない時は、リラク同業者のブログを見たり、参考にできるサロンを探したり、別の店でタイ古式を受けたりしていた。そして今も「ご予約がなくなったら別の仕事をしよう」という現実や将来も見据え、ちょくちょく情報収集やリサーチも始めている。でも、将来を不安視しているからではなく別の理由も絡んでいるのだが、いずれにしても決断したり行動するのは今ではない。

過去を振り返り、現実を受け入れその延長線上にある未来を見据える。

待つことが苦手な私が気長に待てるようになったのはタイ古式のおかげでそのコツを教えてくれたのもタイ古式。いや、タイ古式の中にコツがあることを私が探し当てたのかもしれない。

タイ古式でバンタ(チャクラ)の役割や使い方を思い出すと、バンタが正常に働くようになる。3つのバンタには過去、現在、未来の波動があり、センより風がボディ、ソウル、マインドに揺さぶりをかける。すると全身、全体の風通りがよくなるため、お客様の何かが変わり、自分自身の内なる力に背中を押され、風の門を開けたその先へと歩み始める。

3つのバンタが連動して動くようになると、自分が自分で在るということを認識し、自分を信じ、他人を愛し、臆することなく自己表現ができるようになっていく。

私自身も素の自分のままで今を生きている。

過去は過ぎたことだと認識し、現実的な問題を日々片付けていき、これから歳を重ねていくことが楽しみだと感じる。

あの頃師匠は

「自分のようにならなくてもいいんですよ~」とニコニコ笑っていたけど、先生はきっとこの場所に私が着地することを知っていたのかもしれない。

何を考えているのか、何も考えていないのか。

私は師匠のことを何も知らない。いや、正確には師匠の持っている技のことを知らない。だから私はいつだって沢山質問する。

師匠は私の質問を面白そうに聞きながら、包み隠さず何でも教えてくれて、どんな質問にも答えてくれる。もし「技は盗め」とか「肝心なことは教えない」というストイックな職人気質な先生だったら私はとっくに辞めていたと思う。正されるのも諭されるの叱られるのも嫌だから。要するに厳しいのは苦手。

タイ古式に出会って以来、自分の子供達への接し方や向き合い方も大きく変わった。自分が彼らを尊重し信頼できるようになったので、叱らなくなり、怒らなくなり、我慢もしなくなった。でも子供達には色々と口は出す。聞くか聞かないかは本人の問題だが、その前に私の話を聞き入れてくれるような関係を築かなければならない。子供たちに信頼してもらえるような親になるにはどうすればいいのだろう?

私の生活はタイマッサと繋がっていて答えはすべてタイマッサの中にある。

師匠とのやりとりやお客様との雑談の中に答えがある。おしゃべりがない時はセンや風の感覚からサティという古代の叡智や生きるヒントが降ってくる。サティは内側ではなく、自分の外側のナナメ上とか横から突然グンと来る。といっても、タイ古式は宗教ではないし、神との対話とか高次の存在と交信するというスピリチュアルなものでもなく、1人で行う瞑想や呼吸法とも違う。

ではタイ古式って何ぞや?

その謎が解ける日がくるかもしれないし、解けないままかもしれないし、そもそも謎などないのかもしれない。

本当に面白くて「またやりたいな」と毎日思う。