タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

口伝伝承の技2

タイ古式はセンや風がわかるようになればとても面白いので、飽きることなく続けられますが、センと風が理解できない間は続けていくのが大変な技法です。私も長い間、センの存在に気がつかず、センを意識しないままなんとなく形をやっていましたが、ある日急に「形」が「型」へと変化し、センのその先にあるタイ古式の奥深いワールドへと導かれていきました。

タイ古式に関する参考資料や書籍には「セン」についての説明は書かれてありますが「これがセンに触れている感覚です」という具体的な記述はないように思います。感覚は人それぞれですし、言葉や文章にして書物に残すこと自体が難しいのかもしれません。でも幸運なことに、私の師匠の宮城先生が本国タイでセンや風を知っているタイ人のお師匠さん(ワチャカ先生と言うお名前だそうです)に出会い、その技を私も分けてもらいましたので、私も生徒さんとのレッスンで「これがセンで、これが風です」と伝えることは可能です。

タイ古式のことが「わからない」から「わかるようになる」までの待ち時間は、師匠のやり方をマネし、忠実に再現できるように努めていました。でも、「先生のようにできない、先生のようにはなれない」が私の口グセで、そんなイジけた私に師匠は「僕のようにならなくていいんですよ」と言っていました。その言葉には「どんなに頑張っても(頑張る必要もなく、頑張ることはムダな行いとなることもあります)僕のようにはなれませんよ」という意味も含まれていて、先生は生徒さんたちへと手渡した技がそれぞれの個性に応じたオリジナルへと変化することを最初から知っているのです。その人を取り巻く環境や経験や興味といったさまざまなエッセンスやスパイスの入ったその人にしかできない味のあるタイ古式マッサージとなるのです。

まぁ、とにかく「わからない」が「わかる」へと切り替わるまでの間は苦労の連続です。いつ「形」が「型」へと変化するかはわかりませんし、必ずそうなるという保証はどこにもありません。そんな曖昧な技をやり続けてきたなんて、、、。

「タイ古式を早く習得したい」という欲が働くと、センや風を分かったつもりになったイメージ先行の「頭で考えるタイ古式」となってしまいます。残念なことに、思考を使うと風はやってきません。頭で考えるタイ古式をやるとお客様に不具合が生じます。多くの型を必要としない古いタイプのタイ古式マッサージは、手技が少ないため、風を捉えられないとご予約の時間が退屈で苦痛になります。そうなると本来のタイ古式を知る前に「自分のイメージした技法と違った」と早々に見切ってしまったり(そもそもイメージしてはいけないのですけど)、興味が薄れて他の技法へと移行していきます。個人的には「もったいないな~」と思うのですが、タイ古式が良い通過地点となるならそれはそれでいいことなのでしょう、と、、、書いていますがやっぱり残念な気持ちになります。私がタイ古式の良さや面白さを伝えることができなかったという現実に情けなくなります。でも師匠は「いや~タイ古式を上手く伝えたり、手渡すなんて無理ですよ~」と最初から諦めていて、そこが師匠の凄いところで尊敬しています。いつまでも越えられない師匠の存在に安心します。

タイ古式はやる人や受ける人を選ぶそうなので、私は選ばれたい一心でタイ古式をやっていますが、しがみつくと突き放され、追いかけると逃げていくので、本当に憎たらしくてイヤな感じですが、そーゆーところもタイ古式の魅力で、そーゆーところも含めてタイ古式が好きです。わからないことや真実を追い求め、その過程には辛いことも苦しいこともありますが、お客様とのひと時は笑いあり、涙ありのヒューマンドラマがあふれていて、そのやりとりの中でお釈迦様の慈悲の心に触れると明るい希望の光を感じます。センを通る風が私を魂の旅へと連れて行ってくれます。