タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

信じることと疑うこと

信じることは意外と簡単で時には逃げの手段となりうる、というのが最近の気づき。

ある日突然知らなければよかった、聞かなければよかった情報が私の元へとやってきて「あの出来事さえなければ信じたままでよかったのに」となり、順調かつ好調だった日々が陰り出した。でも、魂のゆさぶりには向き合わなければならないし、やってきた流れは引き受けると決めているため、信じるを疑うへと変換させて、そこからかなりの労力と時間を使って真実を確かめる作業が始まった。

幼少期は「ひねくれた子供」と親や周りの大人から称賛?を浴びていたし、大人になってからも人見知りと称しナナメの目線で物事を見てきたハズなのに、なんでいざという時にこの能力が発揮されないのだろう?なんでこんなにも無防備な自分になってしまったのだろう?その理由はわかっている。それが○○○に関わることだから、私はついそのエネルギーに惹きつけられてしまったのだ。

「はく奪ですね」と笑う師匠の顔が浮かぶ。

タイ古式マッサージに当てはめてみると、人や物事には必ず陰と陽、プラスとマイナスの波動があり、その波動は一対で、絶対的な信頼を寄せることは同時に疑惑の念も存在することになる。それらに折り合いをつけ、程よい場所(中間)に持っていくために、押して引いての技を繰り返す。疑って信じて疑って信じてを繰り返しながら、真実へと近づいていくのだ。

疑うことは信じることへと繋がる。

私はかつてタイ古式マッサージや師匠を疑ったことがある。それも1、2度ではなく何度もだ。疑って疑ってようやく信じることができるよになった。ということは、人に疑われることや嫌われることも悪いこととは言い切れない。信じることも疑うことも同じ波動で、両者は確かめることで中和される。

今日はこれからサマディにタイ古式マッサージを受けに行く。最初に受けた時の「なんだかこれはいいかも。私もやりたい」と純粋に思ったあの頃が懐かしい。生れて初めて自分が心からやりたいことに出会い、がむしゃらに努力して、努力することをやめて今に至る。タイ古式は単なるストレッチや指圧などではない。お釈迦様の心に触れる、お釈迦様の知恵を分けてもらうための行い。そのことを知っている人も知らない人もいるけど、必要な人へと届くよう、これからも地味に続けていくだろう。タイ古式マッサージのわかりにくくてマニアックなところが私は好き。って変なオチになったけど13時の予約に間に合わなくなりそうなので、これにて終了。