タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

エレメンタル

ある方が「龍神天照大神と繋がっているというヒーラーがいても僕には視えないしわからないからそれは単に彼らが作り上げたエレメンタルにすぎないんだよね」という話をしていて「エレメンタルって何ですか?」とソッコーで質問。「この世の中は人の思い(想念)が作り出す世界」という論理を示す波動のようだが、よくわからない。でもその方の話を聞きながら、ふとこんなことを思った。

「もしかするとここで書くマニアックなタイ古式マッサージの話(センやニンやロム)も私が勝手に創造したことなのだろうか?」

でも、何もかも自由でルールのないタイ古式マッサージで唯一先生に「タイ古式マッサージではイメージは使いません」と言われ、私はそれを実践してきたつもりで、それができているからこそサティが降ってくる。なおかつサティはお客様と共有できる。けれどもタイ古式マッサージは必要な方にしか必要とされず、必要のない方には特に意味のある行いにはならない。

だからこそ

タイ古式は私にとって何なのか?

タイ古式はお客様にとって何なのか?

ということを毎回確かめたい。

確認しなければわからないところがタイ古式マッサージ最大の魅力で、やればやるほどどんどん面白くなり、時間はあっという間に過ぎてしまう。

「時間」という観点より日々を認識しなくなると、さまざまな気づきがある。

10年くらい前に神奈川より沖縄に来たナイチ嫁、ママ友達のSちゃんが「沖縄の母」と慕うサイキックヒーラー(確か宜野湾のどあんとかいう占いのお店だった)の女性にお会いした時「あんた今日1日を頭にイメージして、その通りの生活を過ごしているねぇ?」と聞かれ「いぇ、そんなこと考えたこともありません」と答えると「セラピストとかヒーラーとしてはまだまだだねぇ」と言われた。その女性はまるでネイティブアメリカンのような雰囲気だったが、先日エレメンタルの話をしてくれた男性もめちゃくちゃネイティブアメリカンが好きな人だ。

いや、待てよ。今現在単調な日々を過ごしているせいか、ほぼ間違いなく1日のスケジュール通りの生活をしている。先ほど述べたようにタイ古式マッサージでも予測や予感というテクニックを使っているがイメージではない。最初はイメージのように思えるが、タイ古式をやり続けていくとそれはイメージではなくなり、自分の予測した通りに風の動きや流れが把握できて、風の門が開くとサティが降ってくるようになる。

もし、エレメンタルが自分の世界を作り上げていくのなら楽しいことを考えよう。心配や不安は横に置いて「なんとかなる」とか「なんとか乗り越えていける自分」を信じて目の前にあることを頑張ろう。ワクワクするエレメンタルを創造して明日の活力にしよう!

タイ古式マッサージは日々のあれこれを横に置くためのワークで苦しみを抜いて喜びを与える「抜苦与楽」な2人ヨガ。仏教の思想が組み込まれたお釈迦様の慈悲の行い。そういうことを知っている師匠に出会い、私もお客様の中にある純粋なエネルギーや慈悲の心に触れているからタイ古式マッサージが好きなのだ。何事にも何物にも捕らわれず自由気ままで時にはしたたかな風の感覚が好き。風を追いかけていると私も自由になれる。時空を越えて過去も現在もそして未来まで駆け抜けていくような不思議な感覚。そしてそれはイメージではありません。

「信じるな、疑うな、確かめよ」というヨガの格言をぜひタイ古式でご体感下さい。

お知らせひとつ

今月からしばらくの間(おそらく6月あたりまで)、実家のことで様々な動きや変化がありそうです。その間、タイ古式の仕事はタイミングの合う時のみとなります。といっても、東京では月2~3回のタイ古式のスクーリングと週に数名様のご予約しかないので、特に問題はないのですケド(笑)。それにしてもタイ古式って不思議です。家族のことや他にやるべきことがある時は予約は入らず、それらがひと段落つく頃に電話が鳴り出します。昔からそうなので物事には優先順位や流れがあるのでしょう。う~ん、いよいよそうきたか(というのは独り言です)。ここで残念なお知らせがひとつあります。今月末と来月末、沖縄に一時帰省しますが、諸事情により春季のご予約はお受けできなくなりました。しかしながらレッスン半ばで離れてしまった沖縄のMさんとNさんペアのスクールはやりますので、もしこのブログを読んでいましたらご安心下さいね。

これも昔からですが、私のタイ古式のご予約はお電話かメールでの受付となっています。宣伝や広告は出していませんので、ご縁を頂く方はごく限られた皆さまです。情報発信もHPとブログのみです。これからもできる範囲でやれることをやっていきますので、よろしくお願いします。

本物のヒーラー、本物のセラピスト

先週は本物のヒーラーさんに出会い、そして今日はロムの存在を知っているタイ古式のセラピストさんとお話をする機会を頂いた。東京は凄い。本物や一流の方々を知るチャンスにあふれていて、本でしか読んだことのない情報を直接聞くことができたり、今後私が目指していく方向を示してもらえたりと、多くの学びがある。

本物は隠れていて表には出てこないため、めったに出会えない。でもロムを扱うタイ古式マッサージを続けてきたお陰でご縁を頂くことができた。タイ古式を通して出会う皆さまは「約束の人」と呼ばれ偶然かつ必然的に出会う方々。ここにきて改めて「今までやってきたことをこれからも続けていこう」と心に決めた。

タイ古式が私のやりたいことで、これから先のやるべきこと。なので私は必要な方に見つけてもらえるよう、待つことにした。待つのは苦ではない。でも、何も心配せずただゆだねるだけでは失敗する。「色々心配することはあるけど、そこそこ対処していけば大丈夫」ということを私は自分が経験したことを通してお客様にお伝えしている。

タイ古式を教えて下さったのはサマディの宮城先生だが、人生の深みを教えてくれるのは家族。タイ古式同様、自分の思う通りにはならないということをとことん突き付けてくる。私は夫や子供達そして母親とのやりとりで心底観念し、前向きに諦めて気持ちを切り替える術を学んだ。「なんでこんなにも思い通りにならないのだろう?」とグチったり嘆いたりしながらも、思い通りにならないことにだんだん慣れていき、やがて落ち込まなくなった。するとじわじわと気力が戻り、絶対に諦めない底力で、懸命に彼らが受け入れてくれそうな案を次々考える。でもそれは大変な労力を費やし、かなりのエネルギーを消耗する。特に母親はツワモノで彼女と私のバトルは絶対に終わらない。私はいつも負けたフリをしているが、常にタイミングとチャンスを狙っている。そんな自分が滑稽で面白い。

お客様に家族ネタを話しているうちにタイ古式はあっという間に終わってしまう。空想やファンタジーではなくリアルで身近な超現実を語る時間♪ だからこそタイ古式は面白いのかもしれない。

慈悲の行い、タイ古式マッサージ①

占いでは「お客様の聞きたいことや知りたいことについての具体的な答え」を求められますが、タイ古式でやってくるサティは「聞いてないけどお客様も私も知っていること」で人の念や思いによって作り出されるものではありません。さらに占いは「当たる」か「当たらないか」が「気」になりますが、サティにその気配は存在しません。占いで得る答えには意識や思いが働いてしまいますが、サティは意識や思いとはまったく関係のないところから降ってきます。サティが働くとお客様と私の距離が近くなり、今初めて話す事柄に関してもこれまでの経過を知っているかのように話のつじつまが合っていきます。サティによって共感と共鳴の渦が巻き起こり「同じ質を持つ親しい間柄」だということがわかります。タイ古式の時間や空間は守られているため「その時限り」で終わりがきます。そして時が過ぎれば過去のものとなり、何かを改善したり心がけたり気に留めたり「覚えておこう」という思考が排除され、まるで風がやさしく吹いた後のような心地よさのみが残ります。なので、タイ古式は「慈悲の行い」と呼ばれるのでしょう。

センに触れると心、身体、そしてもっと深いお客様の本質や根っこの部分など、さまざまな場所に繋がり、ありとあらゆるところにロムが働きます。人の内側と私達を取り囲むエレメントや自然の存在にそんなメカニズムがあることを古代の人は知っていたんだな、と思うと感慨深いものがあります。タイ古式をしない日は主婦として日々を過ごしている私でも型やセンを通して古代の叡智に触れることができるのですから、タイ古式マッサージって本当にすごいです。

センとは何でどこにあるのか?ニンで風の門を探すとはどういうことか?手より伝わってくるロムの感触にはどのような種類があるのか?ロムの流れについていくことで心や身体はどうなるのか?それらはすべてお客様のタイ古式をやる中で得てきた経験や知識です。私の師匠の宮城先生はいつも「風の門までは連れていけますけど、門のその先を歩んでいくのは上原さん自身です」と言っていましたが、本当にそうでした~。

センはチャクラやバンタを使って探します。チャクラがどういうものなのかを知識として知っているだけでは意味がなく、それらをイメージするのではなく(ここが重要)、実際に使えるようになってこそ、本当の意味でチャクラを理解していることになります。センやロムを認識するセンサーは腹部にあり、目を閉じた半覚半眠(クレアボヤンス)の状態の時は「サードアイ」というもう1つの目の感覚を使って今この時の空間や状態を認識します。※詳しくはレッスンで手渡しています→ タイ古式レッスンの詳細

タイ古式は慈悲喜捨の主に「捨」の行いですが、タイ古式をやればやるほど「謝」という返礼の思いがあふれてきます。占いをやめたことで新たに気づくことが多々あり、捨てたと同時に与えられています。

 

わかることとわからないこと

迷わずに決められることもあれば迷ってばかりで決められないこともあり、決められない間についそのことばかりを考えすぎてしまうと疲れます。私の場合、決められずによく迷うことはズバリ仕事のこと。この場所でよかったのか、あのタイミングでよかったのか、その他ずっと保留のままにしていることも多く、時間だけが経過していきます。昔からそうですが、名刺やフライヤーもしょっちゅう変えていて、プチ起業&ミニ経営を受講された皆さんは歴代のフライヤーや名刺を見て「こんなに作ったんですかぁ」と驚かれますが、作っただけでどこにもどなたにもほとんど配っていません(笑)。

名刺とフライヤーはMさん、サイトはIさんとそれぞれ別々のデザイナーさんに依頼していますが、Iさんご多忙のためルナサンチのHPはまだ出来上がっていないことが迷走中の私には好都合!?私は常に「あーでもない、こーでもない」を繰り返しながら、なんとな~くこの仕事を続けてきました。あ、でも、自分の習得した技法には自信があります!昔はそこも弱かったので自信がつくまでの間は自信のある手技(オイルボディやフェイシャル)も取り入れていましたが、今年からついに当店の施術メニューはタイ古式マッサージのみとなりました。センを押して引く感覚やロムが流れていく不思議な感覚で心身の緊張を和らげていきます。心も身体も全体的になんとな~く好い感じになります。この「なんとな~く」というざっくりした部分の説明がどうにも難しいため、何度も名刺もフライヤーもHPの文章も書き直してしまいます。

例えば、タイ古式マッサージを説明する2つの文を書いてみると

タイ古式マッサージはその行い事態がヨガや瞑想の一種なので「自分との対話」や「内観する時間」です。今直面しているちょっとした悩みの答えや不安の解消法は自分自身で見つけられるようになるための対話や内観ですが、自分ひとりだけで呼吸法や瞑想をするのではなく、間に人(施術者)を挟みつつ自分に問いかけ自分で答えを導き出す2人ヨガです。

又は

タイ古式マッサージは自分と対話したり内観するのではなく、今の自分を忘れ自分に向き合わず現状から自分を切り離すための呼吸法や瞑想です。タイ古式は2人ヨガで仏教で言う『慈悲喜捨」の行いなので、間に人(施術者)を挟みつつも自分の執着や煩悩を捨てられるようになるための心身のリセット法としての役割を果たします。

つまり、受ける方の状況やチャクラのバンタの具合によってタイ古式は変幻自在にその役割を変えていくというのが私の解釈ですが、先生に説明すると「うん。近からず、遠からず」とか「そうとも限りませんよ~」という見解になるでしょう。

そもそも「僕の言うことは信じないで下さいね」という感じの授業でしたから、その言葉の意味が理解できるまでは本当に大変でした~。

と、まぁ、タイ古式をやったり受けたりしているとわからないことをわからないままにしておくことに慣れていき、心配してもしなくても時は流れ、事は収まるところに収まり、その収まった場所で与えられた役割をできる範囲でこなしたり、然るべき対処をしていけばいいのかな、と思うようになります。タイ古式をやりながら「わからない」を乗り越えていくことであらゆることに対処できる自分となり、さらにそういう自分を信じられるようになり、信じられるからこそ、現状や物事を受け入れていけるようになります。タイ古式で降ってくるサティはギフトです。お客様のチャーミングでお茶目な部分を教えてくれます。ご自身が短所や欠点だと思っている部分に関しては「どうしてそう思うの?」と問いかけてきます。タイ古式でサティを手渡された方は日々頑張っているご自身に寄り添い見守ってくれている波動が在ることがわかります!!そこがわかれば、必要以上に怖がらず、心配や不安を持たず、自分や自分の人生を受け入れて在るがままで過ごしていけます。

という感じで私は「タイ古式マッサージはお客様の役に立つ!」ということを知っているからこそ、「どうすれば売上や集客方法を上げることができるのか?」ということはまったくわからなくても、自分のペースでよんな~よんな~(沖縄の方言で「ゆっくり」や「マッタリ」の意)続けていられるのです!