タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

「ある」と「ない」のタイ古式マッサージ

症状が改善するかわからない

何かを期待しても期待通りになるとは限らない

期待が大きければ大きいほど期待通りにはならない

でも期待せずに受けると驚くほどのギフトがやってくる(ことがある)

ただなんとなく受けただけなのにものすごいデトックス効果が出る(ことがある)

タイ古式で近づいてくる風の精霊はアマノジャク。どっちつかずでつかみどころがなくて自由気ままでワガママで純粋なのかしたたかなのかよくわからない。私たちの手助けをしてくれる良い精霊なのかと思えばそうでもなく、特に関心を示さず通り過ぎてしまうこともあり、追いかけようとすると逃げていき、気にしないでいると「何してるの?」と近づいてくる。思わせぶりな気のあるそぶりで私を試してくる。そんなシチュエーションに何度も遭遇するうちに「お試し」にもすっかり慣れた。

素直で正直で純粋な欲の質の風は清々しく、陰か陽かどちらかに傾きそうな風は穏やかになり、強く激しい風はそのままの勢いで突き抜けていき、特に勢いもなくどんよりとしたまま消えてしまうこともある。タイ古式をやると楽しいことの方が多いけど、ごく稀にそうでもない時もあり、スッキリすることもあればどっと疲れてしまうことも。外の世界でも内側の世界でもだいたい同じことが起こっているのだろうけど、宇宙から見ると地球や人間はどんな感じなのだろう?タイ古式は天空とか宇宙とかそんな壮大な世界とはコネクトしない。だから空(くう)の世界のことはよくわからない。だけど時々「いや、これ、かなりスピリチュアルでしょ」と思うような不思議な出来事に遭遇する。でももっともっとタイ古式が上手くなれば、そんな出来事には遭遇しなくなるのかもしれない。「受けても受けなくてもどちらでもいい」という言葉の深い意味や言霊に宿ったエネルギーを読み取ることができれば、変化も不思議な体験も必要としない本当の慈悲の行いになるに違いない。

で、最近色々そぎ落としたくなった。

年末恒例の大掃除に加え、ブログも整理。占いブログは終了し、このブログはどうしようかと考え中。

大変なこと、辛いこと、悲しいこと、苦しいことなどもおおむねどうにかなることがわかり、今までやりたかったこと、確かめたかったこともだいたい終えて、では次の目標はどうしようか?と考えた時、今は特に思いつかない。ただこのまま時の流れに沿って与えられた役割をこなし、目の前にやってきた課題をクリアしながら、淡々と日々を過ごしていくのだろう。あ、いや…思考や感情に振り回されず粛々と生きていきたい。そうか…やはり生きるには目的があるのね。

タイ古式をやるようになって私の生きづらさや苦悩は解消されつつあり、タイ古式マッサージという行いを通して沢山の方の慈悲に触れ知恵をもらい、喜びや悲しみを分かち合いながら多くのことを学んでいる。人生にはままならないこともあるけど、現実のゴチャゴチャをちょっと横に置いて、自分から離れてみると本当の自分にどんどん近づいていく。思考や感情の破壊と再生を繰り返し、絶望の中でも希望の光を見出し「まぁなんとかやっていきましょうよ☆」と言い合える、共感と共鳴で繋がったソウルメイト。お客様との距離が近いのは私が社交的であるとか人当たりがよくて話しやすいということではなく、サティと呼ばれる不思議な何かがカギで、私はお客様の身体に触れるとセンより風の門をくぐり、その方の素敵で素晴らしい気質に触れる。私にとってお客様は神様ではなくお釈迦様。お釈迦さまは神ではなく人。多くの師匠に出会い修行して苦行して「苦行では苦しみは解決しない」ということに気がついた人。タイマッサージをするとその思想がよくわかる。その人にとって心地いい「快」がいちばん自由で気が楽。でも社会や組織に属していると、ある一定のルールに従いながら協調や調和を保たねばならない。なので時々その緊張や違和感から自分を解放し、そうすることによってまたその中の一員として存在できる。置かれた場所から離れる必要がある時はそうした方がいいが、逃げてばかりでは自分の居場所を探して落ち着かないので、その場所にいられるような自分になれる方法を探していくといいのかな?と思う。

そうか、私が自分を知るその前に迷いがちだったのは名前のせいかもしれない。

RU(あーる、在る)とNA(Not applicable; Not available)

ルナさん→月(陰)と太陽(陽)

ルナサンチ→ルナ(月)とサン(太陽)とチ(大地、気、家)

陰と陽の間にあるチー(気)を大地に降ろすことが私のタイ古式マッサージで、これはもうライフワークやミッションと言ってしまおう!

 

ミッション(mission)とは重要な「任務や使命」のことです。この「任務や使命」には、大きく分けて三つの要素が含まれています。

まず

第1に「到達するべき目標がある」こと

第2に「目標に進んでいく行動がある」こと

第3に「それらが何かに求められていること」です

by三省堂辞書 

 

テキトウでいい加減なタイ古式マッサージ

タイ古式は慈悲の行いですが、正しさを求めたりはしません。「正しく在るため」に行うものではありません。「正しいとは何か?なぜそう在りたいのですか?」と問いかけてきますし、正しい方向へと進みたい方には「あなたの考えている方向だけが行先ではないのでは?」と揺さぶりをかけてきます。なので自分を律して自分の思う方向へと進みたい方にタイ古式は不向きかもしれません。目標へとまっすぐに向かって頑張りたい方に寄り道や遠回りは時間のムダや道中の妨げとなってしまいます。タイ古式は自分の思う通りには活用できないという特徴があり、ストイックに一点に集中しすぎたり、欲をコントロールしたいという強い欲に支配されたクンダリーニ症候群の人のエネルギーを下降させるために作られた、という説もあります。

タイ古式を受けて「面白い」と言う方もいれば「う~ん、イマイチ私の求めているものとは違う」と感じる方もいらっしゃいますが「ご自身の好きなように解釈して下さい」というのがタイ古式のスタンスで、自由で答えを持たないという上手い逃げ方をしますし、受けた方への責任も持たないというテキトウでいい加減なところがあります。強いエネルギーで迫ってこられると風は遠くへと逃げてしまいます。

まぁまぁ、何事もそこそこやほどほどがちょうど好い。そんなことを体感できる古代の叡智が詰まった世界一気持ちのいい極楽タイ古式マッサージです☆

欲が静止するタイ古式マッサージ

タイ古式マッサージは仏教の思想が組み込まれたお釈迦様のマッサージで、欲を静止させる効果があります。「答えを知りたい、答えを知らなければ安心しない、これをやるとこうなるという結果が伴わなければ嫌だ」という欲に対して「え~なんで?好きだからやっているのでしょう?」とシンプルな疑問を投げかけてきます。好きなことで成功できるといいのですが、好きか成功かのどちらかを選ばなくてはならないこともあり、タイ古式はそこをうまく繋ぎ、折り合いをつける手助けをしてくれます。タイ古式をやればやるほど、受ければ受けるほど、余計なプライドや欲や想念を捨てることが上手になっていきます。よく「人生は思い通りにはならない(ことの方が多い)」と言いますが、それでも落胆せず絶望せず後悔も失敗も笑って吹き飛ばしてしまえるくらいがちょうど好いのかもしれません。全部吹き飛ばされてもう何も残っていないという状況でも風はいつもと同じようにそこに在り、いつもと同じように私に近づいてきます。人の内側にある自然治癒力に触れる度に私は安心し「何があってもきっと大丈夫」と思えます。タイ古式を受ける皆さんも思考の混乱や心の動揺が落ち着き、深い呼吸へと戻り、〇〇〇しすぎの状態から解放されて楽になる感覚がわかるのでタイ古式が好きなのだと思います。タイ古式を受けると「そもそも私が考えていたこと、悩んでいたことは何だったっけ?」という具合に悩みや不安を忘れてしまいます。よくわからないうちになんとなくワクワクしてきたり、急に冷静になって「あ、そうだ、歯医者予約しよう」と後回しにしていたことに着手するようになります。タイ古式を受けた後は超現実にあるさまざまな事柄にシフトします。

「答えを知りたい、答えを知らなければ安心しない、これをやるとこうなるという結果が伴わなければ嫌だ」という欲に対して「え~なんで?好きだからやっているのでしょう?」とシンプルな欲を思い出し

「答えを知らなくても答えはそのうちにわかる。これをやるとこうなるという自分の判断が正しいのかどうかを確かめよう」という純粋な欲で進む道であれば、きっと大丈夫。自分の期待していた答えでなくても別の答えや結果に満足できる自分になればいいのです。

タイ古式はお釈迦様のマッサージで私の触れる風の精霊は私達一人一人の中に存在する釈迦の慈悲の心を知らせてくれるお釈迦様の使いのような存在だと思っています。タイ古式マッサージで子供のように純粋で単純な自分の欲を貫くことができる自分自身にぜひ出逢って下さい☆