タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

風と彼女のストーリー

息子の卒業式の日、体育館の入口でただなんとなく式典を眺めていた。色々あって私立から地元の公立学校へと転校し、1年だけ在籍していたが、集団生活に馴染めない上、担任との折り合いが悪く、夏休みが終わる頃からほとんど学校には行かなくなった。私も息子も学校にはいい思い出がない。幼稚園の頃から頻繁に呼び出され、あれこれお叱りを受けていたため、私も息子同様学校が嫌いだった。

式の後半、ニット帽にジーパン姿のラフな人が私の横に来た。彼女の息子もウチに負けず劣らずの問題児だとは知っていたが、挨拶をする程度で直接話したことはなかった。

「ちょっとこれ見てよ」

ニット帽を取ると、いくつもの10円ハゲがあった。

「どうしたんですか、もしかしてストレス?」

「そう、アイツのせいで私の頭は惑星だらけよ」

私は思わず笑ってしまい、式そっちのけで色々な話をした。

「アイツ学校には行かなかったけど、家で姉ちゃんの子供の面倒見てたんだよね。オムツ変えてお風呂入れてミルクあげて寝かしつけも上手でさ、ねーねーが仕事の間、ずっと甥っ子の相手して、優しいところあるんだよ」

「そーゆーことも勉強ですよ!」

「これから先も色々あるかもしれないけど、生きていける場所で生きていけばいいさーね」

さっきまで「結局私の息子はどこの学校にも馴染めなったな」と複雑な気持ちで式に参列していたが、彼女のおかげで気持ちがすーっと楽になった。

2人だけの卒業式。

体育館の外に出て清々しい空気を吸いながら

「最後の最後でいい思い出ができました。ありがとう」

そう伝えると

彼女は「とりあえず、卒業おめでとうだよね」と笑った。

そこから離れる

「心の問題は心だけでは解決しない」というのがタイ古式の教えですが、今日はそんなお話しです。

悩みを話したり聞いてもらうだけでは苦しみからは解放されません。もし苦しみから自分を救う方法を見聞きしたのなら、実際にそれらを試してみます。つまり、行いこそが唯一私達を苦しみや悲しみから救う方法となります。行動しなければ変化はやってこない。タイ古式をやると風が思いと行動を繋げてくれます。「なぜ、そうなるのか?」の理由や理屈はあまり考えたことはありませんが、風が運んでくる言葉や頭で理解できないエネルギー「サティ」がそうさせているのかもしれないと、最近思うようになりました。

タイ古式マッサージはヨガや瞑想、呼吸法の仲間ですが、自分の内側を感じ、意識を内側へと向かわせていくためのワークではありません。意識が内側へと入り込みそうになりそうでならなくて、逆に内側から少しずつ離れ外へと広がっていくような感覚です。自分の内側を外側から見つめます。タロットリーディングと似ているのですが、カードの場合はお客様が引いたカードに私の引いたカードをのせて、双方のカードを融合させていきます。タイ古式の場合はユンタクしながらお客様の言葉に私の言葉をのせていきます。双方の意見やエネルギーが合わさると新しいアイディアが生まれ、エネルギーが発動します。タイ古式マッサージをやると自分の思いや考えが変化するのはそういう理屈なのかもしれません。

もしかすると、、、ガッツリカウンセリングや心理セッションなどを受けた後にタイ古式をやると、大切なことや重要なこと「これは覚えておかなくちゃ」と思っていることをほぼほぼ忘れてしまい、今得た大切な何かはなくなってしまうでしょう。それって画期的!まさしく自分の思うことがその限りではなくなり、自由への扉が開かれます。タイ古式マッサージには一切のルールや決まりがありません。型も呼吸も姿勢も一通り習い覚えますが、その型や呼吸法をやるかやらないかは自由ですし、タイ古式の概念や思想を信じるか否かもセラピストやお客様の自由です。自由すぎると何を信じていいのやらわからなくなりますので、タイ古式を通して「自由とは何ぞや?」を確かめる旅が始まります。やがて自分なりの信念がなんとなく持てるようになり、同時に自由もなんとなくつかめてきたら、その時点から技が本物になります。「私のタイ古式マッサージ」がわかるようになります。師匠が私に「自分のようにはなれないし、なる必要もないのですよ」と言っていた本当の意味が理解できるようになります。ちなみに私は私のタイ古式マッサージや占いで「プラスマイナスゼロの地点」を体感していただきたいと思っていますが、その考えもきっとその限りではありません。禅問答のように答えは見つからないようにみえるけど実は答えは無限に存在しているため、どれも正解でどれもすべて答えなのです。

サティやセンやプラーナを感覚や身体で理解できれば、感情や思考とも上手く付き合えます。そのことを実感しているので私はタイ古式マッサージをやっています。タイ古式マッサージを受けたりやったりすると自分の抱えている悩みや不調を気にしないようになりますし、いつの間にか気にならなくなります。又は気をそらすためにとても有効なエネルギー変換方法です。悩みや不安を解決しようと努力するのではありません。その努力しようという姿勢を忘れてしまえるような場所へと着地するための技法です。面白いです☆

 

気が楽になります

私はタイ古式以外に数秘とタロット占いもやっていて、習いたい方向けの講座も開講しています。タロット講座ではカードと仲良くなって相棒(カード)と実際のリーディングの練習をしますが、数日前のレッスンで私の悩みに対する解決策を受け取りました。今日はそんなお話しです。

子供達のことを考えるフリをしている母親のエゴ、、、。

息子のやりたいことを阻止するために外堀から固めていこうとしている自分をカードに見せられたような気がしました。

本当は子供の心配など無用で、彼らの可能性を信じて見守るだけでいい。

この気づきを言葉や文章にしてみても、言葉が示す本当の意味が理解できるまでは色々と試行錯誤ですが、そういうことの繰り返しが人生の学びなのだと思います。

「自分の考えていることがその限りではない」という謎解きをクリアしなければ「子供の可能性を信じて見守るだけでいい」という場所へはたどり着けません。なので、少しずつ真実を確かめながら、視野を広げながら、色々なことと折り合いをつけています。さらに「心配することや疑うことも信じることへの第一歩」というひらめきもあったので、子供のことを心配することも決して悪いことではないですし、一概に行き過ぎた行為とも言えません。確認作業が終われば、信頼は揺るぎないものへと変化しますので、結果はいつも良い方向へと向かいます。すべては愛あるがゆえのこと。突き放したいけど突き放せない。愛憎は一対です。

私の息子は頑固で自分の信念を絶対に曲げません。要するに親の言うことなどまったく聞かないのですが、その頑なな姿勢を「まだ何も知らないくせに生意気で面白いヤツ」と感じる自分もいますってそんなことを言っている私の方がきっと何もわかっていないのでしょうけど(笑)。

ま、そんなこんなで色々と自分の思い通りにはいかないものですが、タイ古式マッサージをやったり受けたりしながら、日常のはがゆさや苛立ちから少し離れて、思考や感情を忘れると穏やかになります。タイ古式で自分自身から少し離れてみると、その後はまた目の前の課題にそこそこ向き合えるのようになるので不思議です。きっとこれもサティの一種なのでしょう。心と身体に無理がなくなると気が楽になります。楽になる気を引き出すためのタイ古式マッサージです。ぜひ、お試しあれ!

 

サティを得る

タイ古式マッサージでは生命エネルギーが流れる管のことをセンと呼びますが、センは体内に72、000本あると言われているため、身体のどこをどう触ってもセンに触れていることになります。さらに皮膚の下のセンの中には「風」が存在していて、風の様子や具合が心や身体に影響していると考えています。でも、触れたセンに風が集まっているのか、そうでないのかはしばらく観察してみなければわかりません。

指圧やストレッチなどを含む「型」は風の入口を探したり、風に直接触れるためのもので、筋肉のコリや張りをほぐすためでも、皮膚や腱を伸ばすためでも、骨の歪みや身体の痛みや不具合や違和感を改善、解消するためでもなく、風の存在を確かめるために行います。「指圧」はツボ押しではありませんし「センを引く」はリンパの詰まりを改善し血行をよくするためのものではありません。「なぜそこを押すのか、そこを伸ばすのか?」の着眼点はすべて風と関連していて、型や指圧やストレッチが身体の症状を改善したり解消したりするとは考えていません。型は風に触れサティを得るためのものです。

サティとは気づきや直観、霊性を伴った魂の変化だと思っていたのですが、どうやらそれも私の思い込みだったようです。先日、タイ古式マッサージを受けながら先生の話を聞いていると、そう感じましたし、それがわかりました。なので改めて「サティとは何ですか?」と質問してみると、、、先生の答えは「わかりません」でした。しばらく沈黙した後、思わず大爆笑してしまいました。いや~本当にタイ古式マッサージらしい答えです。答えがない、答えがわからないなんて、私はますますタイ古式が好きになりました!こうなったらとことんわからないまま、やり続けていきます。最も古く原型(シャクティ)に近いと言われているタイ古式マッサージ(一応チェンマイスタイルの仲間)にすっかり魅了されています。色々な意味で怪しくもありそして奥深くもある技法です。

信じることと疑うこと

信じることは意外と簡単で時には逃げの手段となりうる、というのが最近の気づき。

ある日突然知らなければよかった、聞かなければよかった情報が私の元へとやってきて「あの出来事さえなければ信じたままでよかったのに」となり、順調かつ好調だった日々が陰り出した。でも、魂のゆさぶりには向き合わなければならないし、やってきた流れは引き受けると決めているため、信じるを疑うへと変換させて、そこからかなりの労力と時間を使って真実を確かめる作業が始まった。

幼少期は「ひねくれた子供」と親や周りの大人から称賛?を浴びていたし、大人になってからも人見知りと称しナナメの目線で物事を見てきたハズなのに、なんでいざという時にこの能力が発揮されないのだろう?なんでこんなにも無防備な自分になってしまったのだろう?その理由はわかっている。それが○○○に関わることだから、私はついそのエネルギーに惹きつけられてしまったのだ。

「はく奪ですね」と笑う師匠の顔が浮かぶ。

タイ古式マッサージに当てはめてみると、人や物事には必ず陰と陽、プラスとマイナスの波動があり、その波動は一対で、絶対的な信頼を寄せることは同時に疑惑の念も存在することになる。それらに折り合いをつけ、程よい場所(中間)に持っていくために、押して引いての技を繰り返す。疑って信じて疑って信じてを繰り返しながら、真実へと近づいていくのだ。

疑うことは信じることへと繋がる。

私はかつてタイ古式マッサージや師匠を疑ったことがある。それも1、2度ではなく何度もだ。疑って疑ってようやく信じることができるよになった。ということは、人に疑われることや嫌われることも悪いこととは言い切れない。信じることも疑うことも同じ波動で、両者は確かめることで中和される。

今日はこれからサマディにタイ古式マッサージを受けに行く。最初に受けた時の「なんだかこれはいいかも。私もやりたい」と純粋に思ったあの頃が懐かしい。生れて初めて自分が心からやりたいことに出会い、がむしゃらに努力して、努力することをやめて今に至る。タイ古式は単なるストレッチや指圧などではない。お釈迦様の心に触れる、お釈迦様の知恵を分けてもらうための行い。そのことを知っている人も知らない人もいるけど、必要な人へと届くよう、これからも地味に続けていくだろう。タイ古式マッサージのわかりにくくてマニアックなところが私は好き。って変なオチになったけど13時の予約に間に合わなくなりそうなので、これにて終了。