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タイ古式マッサージのマニアックな話

本当のタイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

気が楽になります

私はタイ古式以外に数秘とタロット占いもやっていて、習いたい方向けの講座も開講しています。タロット講座ではカードと仲良くなって相棒(カード)と実際のリーディングの練習をしますが、数日前のレッスンで私の悩みに対する解決策を受け取りました。今日はそんなお話しです。

子供達のことを考えるフリをしている母親のエゴ、、、。

息子のやりたいことを阻止するために外堀から固めていこうとしている自分をカードに見せられたような気がしました。

本当は子供の心配など無用で、彼らの可能性を信じて見守るだけでいい。

この気づきを言葉や文章にしてみても、言葉が示す本当の意味が理解できるまでは色々と試行錯誤ですが、そういうことの繰り返しが人生の学びなのだと思います。

「自分の考えていることがその限りではない」という謎解きをクリアしなければ「子供の可能性を信じて見守るだけでいい」という場所へはたどり着けません。なので、少しずつ真実を確かめながら、視野を広げながら、色々なことと折り合いをつけています。さらに「心配することや疑うことも信じることへの第一歩」というひらめきもあったので、子供のことを心配することも決して悪いことではないですし、一概に行き過ぎた行為とも言えません。確認作業が終われば、信頼は揺るぎないものへと変化しますので、結果はいつも良い方向へと向かいます。すべては愛あるがゆえのこと。突き放したいけど突き放せない。愛憎は一対です。

私の息子は頑固で自分の信念を絶対に曲げません。要するに親の言うことなどまったく聞かないのですが、その頑なな姿勢を「まだ何も知らないくせに生意気で面白いヤツ」と感じている自分もいますってそんなことを言っている私の方がきっと何もわかっていないのでしょうけど(笑)。

ま、そんなこんなで色々と自分の思い通りにはいかないものですが、タイ古式マッサージをやったり受けたりしながら、日常のはがゆさや苛立ちから少し離れて、思考や感情を忘れると穏やかになります。タイ古式で自分自身から少し離れてみると、その後はまた目の前の課題にそこそこ向き合えるのようになるので不思議です。きっとこれもサティの一種なのでしょう。心と身体に無理がなくなると気が楽になります。楽になる気を引き出すためのタイ古式マッサージです。ぜひ、お試しあれ!

 

サティを得る

タイ古式マッサージでは生命エネルギーが流れる管のことをセンと呼びますが、センは体内に72、000本あると言われているため、身体のどこをどう触ってもセンに触れていることになります。さらに皮膚の下のセンの中には「風」が存在していて、風の様子や具合が心や身体に影響していると考えています。でも、触れたセンに風が集まっているのか、そうでないのかはしばらく観察してみなければわかりません。

指圧やストレッチなどを含む「型」は風の入口を探したり、風に直接触れるためのもので、筋肉のコリや張りをほぐすためでも、皮膚や腱を伸ばすためでも、骨の歪みや身体の痛みや不具合や違和感を改善、解消するためでもなく、風の存在を確かめるために行います。「指圧」はツボ押しではありませんし「センを引く」はリンパの詰まりを改善し血行をよくするためのものではありません。「なぜそこを押すのか、そこを伸ばすのか?」の着眼点はすべて風と関連していて、型や指圧やストレッチが身体の症状を改善したり解消したりするとは考えていません。型は風に触れサティを得るためのものです。

サティとは気づきや直観、霊性を伴った魂の変化だと思っていたのですが、どうやらそれも私の思い込みだったようです。先日、タイ古式マッサージを受けながら先生の話を聞いていると、そう感じましたし、それがわかりました。なので改めて「サティとは何ですか?」と質問してみると、、、先生の答えは「わかりません」でした。しばらく沈黙した後、思わず大爆笑してしまいました。いや~本当にタイ古式マッサージらしい答えです。答えがない、答えがわからないなんて、私はますますタイ古式が好きになりました!こうなったらとことんわからないまま、やり続けていきます。最も古く原型(シャクティ)に近いと言われているタイ古式マッサージ(一応チェンマイスタイルの仲間)にすっかり魅了されています。色々な意味で怪しくもありそして奥深くもある技法です。

信じることと疑うこと

信じることは意外と簡単で時には逃げの手段となりうる、というのが最近の気づき。

ある日突然知らなければよかった、聞かなければよかった情報が私の元へとやってきて「あの出来事さえなければ信じたままでよかったのに」となり、順調かつ好調だった日々が陰り出した。でも、魂のゆさぶりには向き合わなければならないし、やってきた流れは引き受けると決めているため、信じるを疑うへと変換させて、そこからかなりの労力と時間を使って真実を確かめる作業が始まった。

幼少期は「ひねくれた子供」と親や周りの大人から称賛?を浴びていたし、大人になってからも人見知りと称しナナメの目線で物事を見てきたハズなのに、なんでいざという時にこの能力が発揮されないのだろう?なんでこんなにも無防備な自分になってしまったのだろう?その理由はわかっている。それが○○○に関わることだから、私はついそのエネルギーに惹きつけられてしまったのだ。

「はく奪ですね」と笑う師匠の顔が浮かぶ。

タイ古式マッサージに当てはめてみると、人や物事には必ず陰と陽、プラスとマイナスの波動があり、その波動は一対で、絶対的な信頼を寄せることは同時に疑惑の念も存在することになる。それらに折り合いをつけ、程よい場所(中間)に持っていくために、押して引いての技を繰り返す。疑って信じて疑って信じてを繰り返しながら、真実へと近づいていくのだ。

疑うことは信じることへと繋がる。

私はかつてタイ古式マッサージや師匠を疑ったことがある。それも1、2度ではなく何度もだ。疑って疑ってようやく信じることができるよになった。ということは、人に疑われることや嫌われることも悪いこととは言い切れない。信じることも疑うことも同じ波動で、両者は確かめることで中和される。

今日はこれからサマディにタイ古式マッサージを受けに行く。最初に受けた時の「なんだかこれはいいかも。私もやりたい」と純粋に思ったあの頃が懐かしい。生れて初めて自分が心からやりたいことに出会い、がむしゃらに努力して、努力することをやめて今に至る。タイ古式は単なるストレッチや指圧などではない。お釈迦様の心に触れる、お釈迦様の知恵を分けてもらうための行い。そのことを知っている人も知らない人もいるけど、必要な人へと届くよう、これからも地味に続けていくだろう。タイ古式マッサージのわかりにくくてマニアックなところが私は好き。って変なオチになったけど13時の予約に間に合わなくなりそうなので、これにて終了。

 

ゆんたくと内観

タイ古式マッサージは時間が長い(90分、120分、150分、180分)のでお客様とゆんたく(おしゃべり)をよくします。話す内容は色々ですが、時には深刻な話題になることもあり、そんな時は私も自分の人生の中で究極辛かったことや未だに後悔がぬぐえない出来事などをガッツリ吐き出します。「リラックスしに来たのにそんな話をされたらブルーになりそう」と引かれてしまいそうですが、私の習得したタイ古式はお釈迦様の慈悲の思想が入っており、重たいエネルギーを軽くする技法です。お客様も本当に優しくて素敵な方ばかりで私の話をよく聞いて下さります。

私はご予約でふとやってくる静寂の時に、自分の人生に降りかかるさまざまな出来事を振り返ったり、今後やるべきことなどを考えていたりします。風がセンを通り、心、思考、そして身体のあちらこちらへと流れて交差すると、痛みや悲しみが中和され軽減されていきます。

お客様と私の間には風の存在があり、半覚半眠の感覚の中で時におしゃべりをしながらもそれぞれが自己との対話をしています。それが内観や瞑想となりますのでタイ古式はヨガの仲間と言えます。パートナーと2人で行いますので、イメージを使ったビジョンやおかしな方向へトランスする危険性がないので安心、安全です。風が受け手とやる側の私を見守り導いてくれます。私は毎日同じことを繰り返していますし、多くの神秘や感動がそこに在ることを知っています。何より慈悲の行いであるタイ古式が好きだという好奇心に風も精霊も古代の叡智である聖霊も応えてくれます。時間は長いですが、あっという間です。時間の概念を越えたいい時間になります。ぜひお試し下さい♪

 

1度きりの人生

今頭に浮かんでいること、心にあることはどれも正しいと思います。だから疑うことなく信じていけばいいのです。好きなことやできること、今後もやっていきたいことを自分のできる範囲でやっていく。そうすれば色々と折り合いがついてくると思います。自分のやりたいという気持ちや努力にはサポートがあります。ただ、やりたいことや努力してきたことがすべて自分のプラン通りにはならない場合もありますが、違う形や別の方向性で実現されていきます。そう考えると後悔することや無駄なことなどは1つもないのです。柔軟に自由自在に気持ちや考えを切り替えて、向こうからやってくる流れを受け入れていけるようになれれば、、、。

タイ古式が教える「いい加減」とは何も考えずただ流されるという意味のいい加減ではなく「良い加減で軌道修正をするといいよ」ということだと私は理解しています。「ダメだ」という現実や感情へと入り込んでいくのではなく、ダメでない方向を探します。追い風も向かい風もうまく利用して空を飛ぶ。人生という旅には人それぞれのドラマがあって私の人生も世界にただひとつだけ。私は飛行機も苦手な怖がりですが、子供たちは冒険が好きです。私の知らない所へとどんどん飛び立っていこうとするので「それってクレイジージャーニーじゃないの?」とハラハラするのですが、「1度きりの人生、楽しい方がいいじゃないですか!」と先日お会いしたチェロの先生の言葉に、私の心配性は吹き飛ばされたのでした☆

さて、どうしよう?

「これだ!」とひらめいた時、とてもワクワクした。今まで知らなかった世界への扉を開けて、期待や希望で胸がいっぱいだった。大きな決断をして大胆な行動に出る自分に驚きつつも、思いついたアイディアの数々をひとつずつ実践していく毎日が新鮮で楽しかった。「これをやれば、あれをやれば、きっとうまくいく。努力すれば願いは叶う!」そう信じて頑張っている自分が好きだった。時々頭をよぎる不安さえも刺激的な喜びへと変わっていった。

そんな毎日をどれくらい過ごしてきただろう。ふと立ち止まってみると、自分が思い描いた未来とは程遠い現状にいる。こんなハズじゃなかったのに。何がいけなかったの?何がダメだったの?あの人のアドバイスも聞いたし、この人の手ほどきも受けたのに、私は私なりに頑張ってきたのに、何で??この憤りや悲しみは一体どこへ向けたらいいの?でも待って。他のみんなは頑張っている。こちらがダメなら次はあちらへ、という具合に新しい何かや違う場所へと移行している。私もみんなの所へ行こうかな?もしかすると、やり残していることがあるかもしれないし、まだまだ努力が足りないのかもしれない。そうだよ、ここで辞めてしまったらすべてが水の泡、すべてが台無しになってしまう。だからやるしかないし、行くしかない。んん?ひょっとして今のこの状態がうわさの「はく奪」というものなのだろうか?「すべてをなくした時が本当のスタート」だと言っていたけれど、自信も希望も気力も余裕も失って、何もかもがグチャグチャで何をどうスタートさせたらいいのか私にはもうわからない。

これから、どうするの?どうしたいの?どうすればいいの?「どうしたい」と思ったってその通りにはならなかった。

それも踏まえた上で、、、さて、どうしよう?

そこから離れる

考えても考えても答えが出ない時はいったん保留にします。考えすぎるとどんどん複雑になり、ますますわからなくなってしまうからです。私の場合、ご予約の時間にタイ古式をやると落ち着きます。複雑になりどんどんわからなかくなってしまった悩みが大したことではなくなる、もしくは私の単なる思い込みだったと気づいたり、何に悩んでいたのか自体を忘れてしまうこともあります。

風を集めて散らす時の「引いて、押して」の技法は、身体だけではなく心の内側にも近づけて遠ざけて、を繰り返します。現状から離れて時間や距離を取った後に再び現状へと寄せていきます。風のエネルギーを仲介してそれらを行っていますが、この概念や感覚は私が今まで習った他のセラピーやトリートメントには入っていませんでした。

私が習得したのは「セン」だけではなく「風」を扱うタイ古式マッサージです。

アーユルヴェータ発祥の地インドにも、タイ古式マッサージが生まれたタイ本国にも、もうこの技法は残っていないそうです。

センを通る風がお客様の慈悲の心へ触れさせてくれます。慈悲の心の心地よさに包まれて、呼吸が静かに深くなり、焦りやがトーンダウン、ペースダウンします。以前の私は「早く決めたい、早く知りたい」症候群でしたが、タイ古式マッサージで焦りや不安を少しの間横に置くことができるようになり、さらに風が私とお客様の双方をより良い方向へと導いてくれます。