タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

自分の意のままにはならないタイ古式マッサージ

いい加減なことは言えないし無責任にその場をしのぐようなことはしたくない。それに「あの人はダメだけどこの人ならいい」とかいう線引きもしたくない。私とタイミングの合うお客様をどなたでも気軽にご案内できるよう、占いの前にタイ古式をもってきた。タイ古式にはさまざまな側面があり、そこを取り入れているつもりだった。でも、心地よさや好い加減はいつの間にか戸惑いへと変わってしまった。となると、これから先も楽しくのんびり続けていくためには「気(エネルギー)」になってしまったことは解決しなければならない。タイ古式の中に組み込まれた「ここ(現実)から少し先を予測する技法」を用いて今を捉える。その後、ダイスを振ってみると冥王星が出た。苦しみを伴う破壊は再び復活するための必要な過程。あーー2019年のっけからパーソナルイヤー「9」の洗礼を受けている!って私の頭は完全に占い脳。こんなに占いが好きなのにどうして手放す必要があるのだろう?手元にあるタロットカードを見てると泣けてきた。私の相棒でいつも助けてくれたかけがえのないパートナー。カードを1枚引くたびにワクワクした。たとえ困難を示すカードや判断が難しいカードが出てももう1枚めくれば必ず着地点を示してくれた。今でも占いは好き。でも「今後も続けていこう」とは思えない自分が情けない。もっと自分がしっかりしていれば悩むことなどないのに。

昨日イベントで出会って親しくなったお客様と「『それくらいやり過ごせばいいのに』と大人になった私たちは思うのにねぇ」と話したけど、やり過ごしたり流されてばかりいると自分を見失ってしまう。別のお客様には「今は何かを考え行動すると言うよりも自分を大切にして休む時。ご自身の考えと行動を相手に伝え、調和させていけるようになるための転換期です」というサティを手渡すと「柔軟に物事を受け入れ、相手を尊重しているつもりだったけど、実は自分を押し殺しずっと我慢してきました」と話して下さった。なんだろう、この流れが繋がっていく感じ。タイ古式って本物のヨガだと改めて思う。

「もしイベントがヒマだったらタイ古式の後お客様にカードを引いてもらおう」とタロットを持参したが、結局使うことはなかった。

この記事を書きながら「今後占いとどう付き合っていけばいいのか?」に対しての好いアイディアが浮かんできた。タイ古式は常にベストをチョイスするのではなくベターを選択することをススメてくる。いつだって「今自分のできる範囲でやれることをやればそれだけでもう十分。無理をすると人生がつまらなくなってしまいますよ」と言ってくる。誰が言うの?私の考え?それとも私たちの頭の少し上にいる精霊たち?精霊は子供の心を持つ大人が大好き。喜怒哀楽がしっかりあって小さなことでも大きなことでも喜んだり怒ったりする自然体の人たちに寄り添い見守っている。

「あなたはとても面倒見のいい方で本当によくやっています」というサティを手渡したお客様は「『小さい男の子が3人もいて育児でほとほと疲れているのに、感謝の言葉のひとつもないお父さんに腹が立つし、何で私だけ、、、』と頭にきていたところです」と話して下さった。

タイ古式のサティはエネルギー変換をする有効な手段のひとつ。ワジワジー(沖縄の方言で頭にくる、腹が立つという意味)して頭に上がったエネルギーや腹部に溜まったエネルギーを心地よさへと変換する。それでもまだちょっと気になることが残っている時はタロットカードを引きましょう。ただしご質問は1つだけ。占いはほんの少しのエッセンス。大人の女性に必要な占いとはその程度。占いを主役にしてしまうと依存を引き起こす危険があり、残念ながら私はそれに対応できる器量は持ち合わせていません。私がいつも言っている通り、タイ古式は自分の思う通りに使えないことがよーくわかりました。なのでタロットカードは占い後のサービスとして提供させていただきます。必要な方はご予約時に「タロットします」とお申し付け下さいね☆

タイ古式&占いのメニューは終了しました

120分や180分のタイ古式を受けたお客様は「聞きたいことはだいたい聞けたので今日はタロットカードはいいかな~」となることが多いです。ということはだいぶ前から感じてはいたのですが、、、タイ古式&占い120分のメニューはそれなりに需要もあるためしばらく保留にしていました。でも、年末に「やっぱりそろそろ終了だよな~」というサインがきて、それでもまだどうしようか迷っていたのですが、、、遂に終わりがきました。

タイ古式はその行い事態がヨガや瞑想の一種なので「自分との対話」や「内観する時間」です。今直面しているちょっとした悩みの答えや不安の解消法は自分自身で見つけられるようになるための対話や内観ですが、自分ひとりだけで呼吸法や瞑想をするのではなく、間に人(施術者)を挟みつつ自分に問いかけ自分で答えを導き出す2人ヨガです。ヨガをするパートナーが遭遇した出来事の中より何かを感じ、学び取る場合もあります。もう少し怪しい話をすると、2人だけではなく私たちの思考より少し上にいる自然界の精霊たち(数年前参加したナカトリモチさんの勉強会での霊視にて確認済)もこの時間に参加していてサティとなって私たちを手助けしてくれています。特に最初の1、2回目のタイ古式の時には「なぜそんなことがわかるのだろう?なぜルナさんは私にこの話をするのだろう?」とちょっと不思議に思うことがあるかもしれませんが、タイ古式の後、心と身体が軽くて楽になったり、しばらく経ってあの時のあのことの意味がわかったりで、完全ではないけどまぁまぁ信頼できないこともない、くらいの距離感で「また受けてみよう」という流れになっていきます。タイ古式の霊性によって巻き起こる共感と共鳴が不思議な信頼へと導いてくれます。お客様と私の中にある共通の学びなのか、似たような経験をシェアすることもあり、本当に不思議で面白いです。それしか言葉が思いつきませんが、そもそもエネルギーは言語化できないでしょうから、体験しながら「(何かが)あるのかないのか、いいのか悪いのか、必要なのかそうでないのか」を確認していくしかありません。

以上の理由からタイ古式マッサージ数秘術やタロットカードをプラスした占い60分は不要となりました。セッションとしてはなくなりますが、引き続き占い講座としてワンディレッスンにてご提供させていただきます。

あ、なぜ終了するのか?終了のサインはどんな感じだったのか?を知りたい方はご予約の時に聞いて下さいね☆ 

アムリタとクンダリーニ

年末から年始にかけての営業日6日間で16名(18回)のご予約を賜りました。お越し頂きました皆さま、ありがとうございました。

東京へ戻る前日は自分の時間を作り師匠の店に行きました。といってもタイマッサを受けるのではなくレッスンでしたが。モデルをお願いしたAさんの150分タイマッサをやりながら、いつものように疑問に感じることに対して先生の見解を聞きます。で、今回のメインは腹部の調整「ソフトチネイザン」。私は身体から心を軽くするのではなく心から身体を軽くすることに興味があり、タイマッサージもその方向へと向かわせてくれています。チベット仏教でもルン(風)についての説明がありますが、腹部は主に心情面へのアプローチのようです。今回のキーワードはアムリタ、スシュムナー、イダー、クンダリーニ、そしてピンンガラー。まぁ、この辺りの話はご興味のある方にはお伝えしますのでご予約の時に聞いて下さい。それにしても腹部がなぜあんなにピョンピョン跳ねる(センが踊る現象)のかがわかってよかったです。明日のレッスンでも生徒さんとシェアしようと思います。授業後半、先生に「この技法は上原さんに降ってきたサティ(ギフト)ですね☆」と言ってもらえたので嬉しかったです。腹部には異世界が存在しているのですよ~。とっても怪しいですね(笑)。長女に話すと「またそんなおかしなことを言い出して、、、」と笑っていましたが、彼女のお腹はよく動くのでおかしな話でもないのですけど。

さて、東京での仕事始めは12日(土)に開催されるヒーリングビュッフェ in 国立です。20分しか時間がありませんのでソフト(とはもはや言えません)チネイザンはできないかもしれませんが、可能な限り調整いたしますので、ぜひ受けにいらして下さい。

猪突猛進とタイ古式マッサージ

「これ、イイ!」と感じ「いい☆」が持続している間は有効ですが「やっぱりちょっと違った」となると効力は薄れていき、他のものや別の何かを探すようになります。どんなワークやセラピー、セッションでも期待しすぎると落胆も大きくなります。なので最初からテンション低めで効果をうたわなければ「まぁこんなものか」と思えるので、役に立つのか立たないかわからない程度のタイ古式がちょうど好い気がします。さらにタイ古式の後のタロットや占いにもはっきりした答えはありません。でも「今どのような現状なのか?」ということに関してはほぼほぼ当たっていると思います。今自分がどういう場所にいるのかを把握していれば未来を先取りすることに関心を持たず、この場所から先を見通すことができるハズです。タイ古式に何かを期待するのではなく「今」の延長線上にある「この先はどうすればいいのか?」を見極めていけるようになればいいと思います。まぁ、タイ古式をやると超現実にシフトしていくので、自然にそうなっていきますケド。とにかくタイ古式に期待はできないため、タイ古式がメインになることはありません。タイ古式の位置づけはサブ。身体的な例でいえば、通っている病院での治療や鍼灸や整体などのボディケアやメンテナンスの効力を上げたり助けたりするために有効なワークです。

私の場合は主に精神面の助けとなっています。家族(子供達や実家)のサポートができる自分でいられるためにタイ古式を活用しています。タイ古式に出逢っていなければ尋常じゃないほどのヒステリーで子供たちの個性や自由を奪ってしまう毒親になっていたでしょう。過去を振り返ると自分で自分が怖い('Д')くらいですが、今では怒りのスイッチが入らなくなりました。「なんでこんなかねぇ(人生はままならないなぁ)」と嘆いたりボヤいたりすることはよくありますが、怒や非や否という余計なエネルギーを放出し他者を攻撃することはなくなり、また自分自身を傷つけて消耗することもないので気が楽です。自分の中の闇の部分を完全に排除することはできませんが、自分の思考や感情に翻弄されず、闇のエネルギーを理解した上でうまく付き合っていけるよう、タイ古式で気を休め、気を晴らしています。「そんなことにタイ古式が役に立つ☆」ということを発見できた私はとてもラッキーだと感じます。

タイ古式を最初に受けた時「型らしきものはあるけどいわゆる型ではないし、解剖生理学的なアプローチでもないし、気功や遠隔ヒーリングのように何もしないということもない。でも膝や首でじっとしている時「思いや願いを込めたりといういわゆる『祈り』や『念』を扱っているのかな?」と先生をチラ見すると、ただウトウトと居眠りをしているだけだったので逆に衝撃(笑)。「一体どういう仕組みで心身の変化がやってくるの???」という好奇心が私をタイ古式に向かわせました。タイ古式をやりたい理由は症状を改善したいわけでもなく、お金が欲しいわけでもなく、感覚の遊びが面白いので続けていると、お釈迦様の教えらしきものや宗教としてではない仏教的解釈を垣間見る瞬間があり「これはだいぶ深いぞ!」と感じつつも、常に「面白いから」というシンプルな欲のままでタイ古式をやっていて、そうするとその後にさまざまな付加価値がついてきました。ということは、結論から言いますと、タイ古式は裏切りません。効力が薄れることもないので別の何かを探す必要もありません。でも「そもそも効力があるのかないのかわからない」って話なのに矛盾していますが、いくら考えてもひとつの方向だけにはたどり着けなくて禅問答のような堂々巡りとなるため、考えても考えなくてもとりあえず私はタイ古式を続けていくことにしました。答えを探さないために、そしてはっきりとした答えを見つけるために私はタイ古式をやっています。しかしながら、国立では今のところタイ古式をやる機会が少ない(予約が入らない)ため、時々ふと東京の波に呑まれそうになったりしていますが、東京はそういう揺さぶりの多い場所でしょうから私がブレるのも仕方のないことで、ブレた時には新しいホームページ(まだ出来上がっていませんケド)を見ながらルナサンチのコンセプトやお客様に私が伝えたいこと、体感していただきたいことを思い出しつつ、のんびりスローな生活を続けていく☆というのが2019年、新年の抱負です♪

生きていると色々あって目の前の課題をクリアするだけでも大変です。なので苦しいことから少し離れ、自分の置かれた現状から自分を切り離し、その後本当の自分として着地した場所から先を見据えていけば、そこそこ好い道を選択できます。私は干支が猪年なので今年に限らず猛進してしまいがちでしょうから、ほどほどを保つためにも引き続きタイ古式をやります。

ではでは

今年もよろしくお願いします! 

やめられないタイ古式マッサージ

何かを決めて行動しようと思う時「本当にそれでいいの?」と問いかけてくるお試しがきたり、どこからともなく吹いてくる世間一般の風に翻弄されて「あーどうしよう、今はとりあえずやめておいた方が無難かも」と計画を中断したり、一切を無視して突き進み、後からじわじわ「やっぱりやめておけばよかった」と後悔したりなど、考えすぎてもまったく考えずに着手しても好い結果は生まれない。

あの時私は不安と恐怖に押しつぶされそうだった。でも自分の信じた「絶対」という場所を目指して突き進んだ。「絶対」とはどんな揺さぶりにも動じず負けない強い意志と覚悟から生まれるエネルギー。そのエネルギーと同時に、自分の外側には「絶対」という方向へと導いてくれるサインがあり、それらは必要な時にしかもとてもわかりやすいカタチで素早く何度も送られてくる。

サインとは抽象的でどちらにもとれるようなものに思えるが、自分なりの解釈をつけて受け取ることではじめて意味を持つようになる。要するに「これはこういうことなのだ」と自分で決めるとか思うことでサインは自分のものとなる。ただし「決めつける」とは意味が違う。「本当かどうかわからないけどとりあえずサインとして受け取ろう」ではサインはまだ単なるサインのまま。つまり自分が「そうかもしれない」ではなく「そうに違いない!」と思う判断力が必要となるが、「そうに違いない!」と思えるサインは自分を守る見えない存在から発信されたものなのでキャッチできる。自分の意志と存在のサポートが響き合い、はじめて物事は動き始める。それが理解できると「決める」は「わかる」という感覚へと変化し、この先どうなっていくのかがおおむねわかるようになる。揺さぶりやお試しは魂が成長するプロセスで意味があり乗り越える価値がある。

こうして然るべき時や過程を経て、私の望みや願いは叶えられ、自分の思いのその先を見ることができた。自分の思いが成就した喜びや安堵は自信となり「絶対」を得たその後はまた「どちらでもいい」という柔軟な姿勢へと戻っていく。

もし今後自分の考えとは違う方向へと物事が動いた時は軌道修正すればいい。何度トライしてもうまくいかない場合は目的地を変更すればいい。道は必ずどこかしらへと続いているのだから、どこに着地しようとも柔軟に対応できる自分でいれば、自分の中から沸き起こる苦悩や煩悩もかわしていける。

「ある」と「ない」の間の迷いを「ある」にするのも「ない」にするのも自分自身で、センやジュを押して引いて心と身体のプラスとマイナスへと近づけたり遠ざけたりしながら今のちょうど好い絶妙な場所に持っていくのがタイ古式マッサージ。型は最小限でストレッチや指圧がないかわりにセンやロムより心身を「楽」や「快」へと変化させていく。タイ古式を受けると偏りや隔たりのないフラットな自分になれるので、先へと続く道に進みやすくなる。でもタイマッサージを受けても夢が叶うわけではないし「夢が実現する!」という自己啓発的又は自己欲求を満たすこともない。繰り返しになるが風の精霊は「なぜ、その欲を持っているの?」と問いかけてくる。そして「そのようになりたい」という思いは受け止めてくれる。現状維持を望むのならその気持ちに寄り添い、少し背中を押してもらいたいのなら後押し、今はまだちょっと、、、という場合はその思いを尊重するが、風が特に何かするわけではない。

 私はこの10年タイ古式をやり続け、特に後半は受け手側の内や外には必ず風が在るということがわかる経験を重ねてきた。そこがタイ古式の持つ「絶対」で私の知るタイ古式の「絶対」。タイ古式を受けると気持ちが落ちるということはないが「よし、これからもっと頑張ろう!」という気にもならない。受けた後はまったりと気怠い感じになり、受けた数日後に「いつもの自分」になる。「タイ古式を受けたから」という印象を残さずにいつもの自分へと還っていく。私はタイ古式が持つ独特な慈悲のやさしさが好き。効いているのか効いていないのか、結果がついてくるのかついてこないのかが毎回はっきりしないので「本当のところはどうなのだろう?」とつい探りたくなってしまう。

そんなこんななので明後日から始まる怒涛のご予約も上手くできるかわからない。というか、そもそも上手いも下手もないのだけど、私はタイ古式の中に在る「絶対」を知っているので何かしらの効果を期待している。もし、今回何もなくても次は何かがあるかもしれない。な~んて、テキトウでいい加減なことを書いているが、正直やってみないと先のことはわからない。何かがあるのかないのかはっきりしないタイ古式マッサージ。だけど私はこれからもタイマッサージの中に在る何かを探し続けていくだろう。

沖縄でご予約をいただいた皆さま、明後日26日(水)からよろしくお願いします!