タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

テキストはカタログ

 「レッスンでお配りしたテキストやプリントは『タイ古式はこんな感じのものです』とざっくり概要を紹介するだけのカタログでしかないですよ」

と昔先生が言っていましたが、、、

確かに関連本や資料の中に私の必要としている情報はなく、実践で経験していることについての記載もありません。

私の習得したタイ古式は筋肉のほぐしではないし、身体のゆがみをシンメトリーに整えることもないし、型も多くは使わないため、書籍の説明は違うタイプ(流派が違うとか)のタイ古式の説明なのかな?と思います。ちなみに型はセンを探すためのものなので最小限で、60分も90分も120分も180分も同じです。

でも、もしかすると「技が身につくまではテキストは概要を紹介するだけの単なるカタログにすぎない」という意味なのかもしれませんので、数秘術同様、関連性が見えていないだけなのかもしれません。

という感じで、まだまだ勉強は続くのでした~☆

こちらもどうぞ。→ テキストはカタログ 数字バージョン 

どんな時も

穏やかに過ごしたいと願ったとたん、どん底へと突き落とされる。

なんで?どうして?

さすがに今回ばかりはタイ古式で立て直すことは無理だろうと思っていたけど、レッスンで呼吸法とヨガをやると少しずつ自分の思いから離れて楽になり、「未来を悲観しなくてもいい」とバンタが教えてくれた。そのサティで思考や感情が切り替わり、身体も変化していく。リカバーしていく過程をみんなで共有できるなんて、やっぱりタイマッサって面白い!!ボディ、ソウル、マインドが繋がるとはこういう現象のことを言うのだ。身体の中心を流れる「気」を視ながら「ここ」と互いに確かめ合う。そこに在る「気」は自分自身の生命エネルギー。

こんなワーク、今までなかった!

言葉の中にこんなにも深い意味があったなんて知らなかった。

今まで教えてもらったことのない不思議な発見がタイ古式の中には沢山ある!

言葉だけでは不十分な部分を風が運んできてくれる。

タイ古式は超現実的。

今ここに在る波動に触れてそれをみんなで分かち合う。

すると、バンタの仕組みや動かし方がいつの間にか頭ではなく身体で理解できるようになり、あっという間に使えるようになっている。

でも次回のレッスンにはすっかり忘れてしまっているんだろうなぁ。

今日学んだことは残らない。今日のことはその時限りの出来事で、手の平から消えてなくなってしまう。でも、この時間、この瞬間をみんなで共有したというのはまぎれもない事実で、またこの不思議な体験がしたくなる。何度でも何回でも風に触れたくなる。

3時間のレッスンが終わり、片付けをしていると、ふと「生きていける場所で生きていけばいい」というサティが降ってきた。

これは私の考えではない。なぜならさっき私がみんなに話していたこととは違う内容だから。でも、不意に降ってきた優しいサティに「そうかもしれない」と頷いた。空(くう)から降ってきたお釈迦さまの言葉、なのかもしれない、、、。

今朝のどん底の苦しみは何だったのか?

悲しみや苦しみがおさまりまたいつもの自分へとかえる。

私はきっと待てる。

子供の可能性を信じ、見守ることができる母親だと自分のことも信じてみる。

常識という枠の中でも自由な感性を忘れず、生きていける場所で生きていこう。

 

シンプルライフ

身体を動かすワークやセラピー、リラクゼーションは沢山ありますが、身体の中のナディやセンといったエナジーラインを動かし、内側の自然治癒力に働きかけていく技法はタイ古式マッサージならではだと思います。そこに興味を持ち、魅力や可能性を感じたことがタイ古式を学ぶきっかけでした。今では手ごたえややりがいを感じ、そこそこの結果や効果が出るようになっていますが、単純に風に触れる作業や触覚を軸に風が運んでくる5つの感覚が面白いし不思議だな~という好奇心でタイ古式をやっています。予約が入ればお受けして、入らなければ仕事はナシ、という極めて単調な日々ですが、この仕事を始めた当初は今の場所に来ることが目標で、思い描いていたヴィジョンでした。そのために手を変え、品を変え、あれこれ自分にしかできない技法を探し求めてきましたが、タイ古式という誰にでもできるけど、セラピストの個性が光る技法に出会ってからは、新しい手技やワークにはいっさい興味がなくなり、ひとつを深めていく作業へと向かっていきました。自分の目指してきた地点に到達した今、次の目的があるのかというとそうでもないので、しばらくはこのまま現状維持。ただ、今後も穏やかに過ごしていけたらいいな~とは思っています。

自分と向き合わない

何かを思い出して過去の記憶を書き換えてみても、それはその時だけのことで、そう簡単に人の思いは消えたり流れてはいかないような気がします。逆に封印していた記憶を呼び覚ますことで、必要のない罪悪感や嫌悪感が襲ってくることもあります。ボディ、ソウル、マインドは繋がっていますから、その理屈から考えても、思考と感情だけではなく身体の浄化も必須です。

タイ古式は身体から思考や感情へと働きかけ、問題に向き合うことなく、問題を掘り下げることなく、エネルギーの変換を行います。身体の中のセンを動かしながら、つらつら考えていることをなんとなくフェードアウトさせていきます。タイ古式は「自分の中の問題が解決したのかしていないのかわかならいくらいがちょうどいい」というスタンスなので、雑談や世間話といったよもやま話をしながら、内側に集中している「気」を外側へと拡散させていきます。「自分自身に向き合う」とか「過去を完結させたい」といった意識をズラしてしまうので、問題を見つめ解決したい方は混乱します。でもその混乱を引き起こすことこそがタイ古式の目的で役割です。

人間の内側は複雑かつ繊細な上に、感情や思考はコロコロ変わりますので「自分の内側に付き合うこともないのでは?」と問いかけてきます。問題に意識を向けるのではなく、少し横に置いてみると、心や身体に余裕やゆとりができて、解決のアイディアが浮かんできたり、向こう側から解消の時がやってきたりします。

 

変化も色々

タイ古式をやっていると、受ける方もやる側も少しずつ自分の内面や身体の様子が変化していきます。でも自分で「変えたい、変えよう」と思って変化させているではなく、タイ古式を受けるといつの間にか、、、という感じで状態が変わっていきます。私はやる側ですので、自分なりのタイ古式のやり方を見つけていこうとする中で、自ら微調整することもあれば「はく奪」というギフトを受け取ることもあり、そうこうしているうちにいつの間にかスキルが身につき、もろもろの仕組みが理解できるようになっています。

その過程は以下の通りです。

①風を頭ではなく触覚(手)より認識する

すべてはココから始まります

②センやエナジーラインが感覚やサードアイで視えるようになる

触覚が使えるようになるともともとよく使っている感覚(私の場合は視覚です)も働くようになり、視覚と触覚とさらにもう1つ(味覚、嗅覚、聴覚)が使えるようになります。最近「なぜ亡くなった方の気配を感じる時に味覚が働かないのか?」という謎が解けました

③バンタ(チャクラ)を強化するトレーニングはをしないまま、バンタを意識するようになった時にはすでにバンタの役割を理解し、使えるようになっていた

トレーニングしたり、バンタをわかろう、理解しようという意識を働かせていたら、今もまだわからないままだったと思います

④思考ではない別の感覚(クレアボヤンス)でサティを受け取るようになる

①~③をある特定の目的に使おうという意識が遠のいていくと、向こう側よりサティがやってくるので、それは受け取るようにしています

⑤実生活でもサティを生かしていくようになる

ひらめいたことを実践しながら「その先はどうなるのか?」を必ず確認するようにしていますが、結果にはこだわりません。というか、結果や効果など、先のことを考えないためにも今に集中し、今やっていることに真剣に取り組みます

⑥覚醒や悟りはご法度 

クンダリーニで上昇するのではなく地へと下降します

なぜ覚醒が必要なのか?

なぜ悟りを得たいのか?

もともとそういうことに興味を持っていなかったことが風に好かれた1番の理由だと自分なりに分析しております( ^^)

⑦不安や焦りや恐怖でモヤモヤしそう、モヤモヤした時は思いとは関係のない別の行いでエネルギーを中和させる

この部分がタイ古式でいうヨガ的トレーニングで、頭ではなく身体を使って学んでいきます。何を学ぶのかというともちろん「現状維持でいこう」や「悟りは必要ない」で、それらを体得すると自然に変化が後ろからついてきます

⑧気長に待つ、待てるようになった

白黒はっきりしないことやイエス、ノーがわからない時でも別のことをしながら他のことを考えながら待てるようになりました

大きなビジョンを実現するにはタイミングがありますので、頭の片隅に置きつつも今は今の自分にできそうなことを考え、やれそうなことをやります

⑨タイ古式を受けても変化がなくなる

心も身体も頭も特に変わったのか変わっていないのかがわからない状態が、、、、、。

利益の出ないことにお金を使ったり、それほど意味を持たないことで時を過ごすことができるようになったら、、、、。

タイ古式は受けても受けなくてもどちらでもいいものです。

変化を起こしたい人にはその変化を遅らせてしまうでしょうし

変化を起こしたくない人には揺さぶりをかけてくるかもしれません。

いずれにしてもやってみなければその先はわかりませんが、いつまでもどこまでもよくわからないところがタイ古式の魅力でユニークな特徴です。