タイ古式マッサージのマニアックな話

タイ古式マッサージとはこんなに奥が深いのです

繋がりを感じるタイ古式マッサージ

昨日参加したイベントでお客様が途切れた時、なぜだか急に孤独感に襲われた。

このにぎわった空間の中に「久しぶり♪」と声をかけてくれる友達もいなければ知り合いもなく、知らない街の知らないイベントで私はひとりぼっち。

心細く寂しくなっていると、午前中のお客様がお友達を誘ってイベントに戻ってきて下さった。

タイ古式マッサージ、よかったから連れてきたよ♪♪」

なんてありがたいことだろう。偶然にもお客様のお友達は私の財布と同じブランドのバックを持っていたため、「私もそのバックと同じ柄の財布、持ってますよ」という話題から会話は始まった。聞けば沖縄が好きで何度も遊びに行っているそう。

離島のこと、沖縄アルアルな話、国立生まれ国立育ちの幼馴染のお2人のこと、美味しいイタリアンのお店の情報など、話は尽きない。たった今出会ったばかりなのに、まるで昔からの知り合いのように懐かしさが込み上げてくる。そういえば今日はホームページを見てわざわざお越しいただいたという方がおふたりと、私のタイ古式を習ってみたいという方にも出会った。そんなことを思い出していると、さっきまでの孤独感がウソよのように消えていった。

なんだろう、この間違いない感じ、、、。

イベントの主催者の皆さんもとてもよくして下さった。人見知りなので自分から話しかけに行くということはしなかったけど、出展者の皆さんも素敵な方ばかりで「また参加したい」と思うようなイベントだった。今度は占いをやってみたいな。タイ式フェイシャルも面白そう。でも私はやっぱりタイ古式マッサージにするだろうなぁ。

「ありがとうございました。またお会いしましょう」

幼馴染のお2人にご挨拶。きっとまた会える。すでにお会いしている方々とはこれからも繋がっていくだろうし、これからお会いする皆さまはきっとナーブタッチを探し当てて私の元へいらして下さるだろう。

これは間違いなくご縁だ。

タイ古式マッサージのナーブタッチという技法が繋げてくれるご縁。

すべては偶然ではなく必然。

そんなスピリチュアルイベントっぽいサティ(気づき)が降ってきた。

このイベントで過去世から繋がっている「約束の人たち」に出会えたのかもしれない。

それくらい強烈にタイ古式マッサージの視えない引き寄せを感じた。ナーブタッチで繋がっていく方々とは共通の学びがあり、何か特別な意味がある。難しい哲学やヨガ経典のことなどは知らないし、釈迦の存在はこの時代のこの世にはないけれど、私が出会うお一人、お一人の中にお釈迦様の慈悲の心が宿っていて、私はお客様を通して釈迦の真理に触れているのだ。釈迦のありとあらゆる側面を私は自分の手を通して受け取り、それらはお客様の生まれ持っている本質だということをご本人に手渡していく。私は「ナーブタッチ」という技法を用いて、会話をしなくともお客様の頭や心が感じていることやお身体の状態を知ることができる。皆さま一様に「なぜ、そんなことがわかるのですか?」と不思議がる。ということは、おおむね当たっているということなのだろう。でも、私自身に霊能力があるワケではなくナーブタッチという技法に霊性が宿っていて、おそらくそれを我欲でコントロールしないトレーニングができた者には扱うことが許されているのかも。そのための修行をいつの間に知らないうちに積んできたのかもしれないけれど、はっきりとはわからない。

どちらでもいい

風は自然要素のため予測不能でコントロールできない

ナーブタッチは私利私欲のためには役に立たない

こんな時もあるしあんなこともある

はっきり「こうだ」と言えることなど何もない

それらのことでやってくる迷い、戸惑い、苦しみ、悲しみ、絶望、孤独、嫉妬、憤り、怒りなどというありとあらゆる感情を忘れ、何事もなかったかのようにスルーしていくことで「自由」という果てしなく広い宇宙の曖昧な定義の中でも自分の軸(自分が自分で在ること、愛を受け取り表現すること)を確立し、タイ古式をやる間は私のその軸(バンタ)が人々に必要な事柄を手渡すために機能するのかもしれない。

ワンネスや悟りなどというものは探し求めなくとも身近に存在している。それにただ気がついていないだけで、どこにでもどの空間にもあるのだ。

帰宅して今日の出来事を子供達に話す。

「母ちゃんはいつもおおげさだな。でも楽しかったみたいだし、よかったね」

優しい人たちに囲まれて私は幸せだとしみじみ思う。

 

ナーブタッチというタイ古式マッサージ

当初、私は自分の習得したタイ古式マッサージを「ナーブタッチ」と呼ぶことに抵抗がありました。なぜなら私の中では「タイ古式はひとつしかない」と思っていたからです。でも、東京に来てよくわかりました。私の技法は完全に「別物」で、例えば「センを伸ばすとスッキリします」という言い回しでタイ古式を説明したとしても、一般的なタイ古式とは「センの概念」が違う上に「LOM(風)の存在」がありません。ナーブタッチが示すセンは腱や筋ではなく経絡とも少し違います。センは身体の内側にあるエネルギーラインです。表面に触れるのではなく内側に触れていきます。センを押すと風が集まり、センを引くと風が散っていきます。センより風を動かしていくことで心と身体の風通しがよくなり、症状の改善(肩こりや腰痛など)がおこります。よって私の習得したタイ古式マッサージには身体の不調や違和感を改善するための手技はありません。でも「このセンから肩コリは良くなるだろうな」ということはセンに触れるとわかりますので、症状の改善に有効なセンを伸ばしたり風の門を開いたりして、できるだけ風がまわるようにします。ちなみに「風の門」は「ツボ」ではありません。

タイ古式マッサージにはリフレッシュやリラックス効果がありますが、ナーブタッチで言うリフレッシュやリラックスはお客様が思い描く、又は知っているリフレッシュやリラックスとは異なる場合があります。筋肉をほぐして楽になるリフレッシュというよりは、テンションがトーンダウンし、まったりとした後、忘れた頃にはいつの間にかリフレッシュしている、という感じです。また、ナーブタッチでいう「リラックス」とは重ダルい感覚です。思考優先型で頭に風が上昇している時は、風を足元へと下げるためずっしりと重くなりますが、思考が一旦静止し、考えが行き過ぎなくなるためリラックスできます。

ナーブタッチでは身体を動かす型はごくわずかです。私自身、横向きで行う手技は使いませんし、背面もごくたま~にしか使わないため、多くの型やアクロバティックなストレッチで爽快感を楽しみたい方には物足りなく感じるかもしれません。

「せっかくお金を払ったのだから首や腰の痛みや足のむくみを取って欲しい」

「そうですよね、やってみます!」

でも、あ~ら不思議。ナーブタッチを受けると「意識していた目的を忘れてしまう」という面白い現象が起きます。自分が考えていた目的以外のギフトが降ってきて、いい意味で期待していたことをハズしてくれます。ただし、どんなギフトが届きどんな感覚になるのかはやってみなければわかりませんが、そこがナーブタッチの醍醐味で面白いところです。使う型は少ない上に毎回ワンパターンですが、扱うセンや風が違いますのでその時にしか体感できない不思議な感覚を楽しんでいただけます。ナーブタッチの目的や方向性は「症状を改善する」ということだけではないため、セラピストはプレッシャーを感じることなくなくやり続けることができますし、お客様も毎回心身が軽やかになるので飽きることなく受け続けていただけます。

いい加減で適当なタイ古式マッサージ

東京で暮らし始め、タイ古式やリラクのサロンで面接を受けたり研修をしたり実際にバイトをすることで自分が本当にやりたいことや今後の方向性が見えてきました。

「ああでもない、こうでもない」と散々考え迷いましたが「店舗を持って活動しよう」と決意すると、実際に良い物件にも出会いました。しかしながら、今回(これで2度目)も契約直前でまさかのキャンセル( ゚Д゚) 今までなら間違いなく突き進んでいたでしょう。でも、もしかすると過去の決断と行動の方が半ば強引だったのかもしれません。東京では思考ではなく「魂からの決断」を学んでいます。

魂からの決断は即決したり天秤にかけたりという思考は働きません。「その瞬間に思いついた直感やひらめき」は少し時間が経つと「やっぱりどうしよう?」と迷いが生じることがありますが、魂からの決断は時間をかけたからこそのゆるぎないずっしりとした重みのある決意です。

私の純粋な欲はシンプルに

「ナーブタッチという技法を用いたタイ古式マッサージがやりたい」

この技法に出会った直後は直感やひらめきでそう思いましたが、10年目の今は同じ決断でも意識が違っています。

今回物件を契約しなかったということは他や別の可能性があるということ。そう考えるとなんだかワクワクします♪

目先の予定としては今週末に開催される ヒーリングブュッフェ in 国立 というイベントに参加します。出店する皆さんは凄い方々ばかりなので、「私など場違いなのでは?」と半ば躊躇していますが、せっかく繋がったご縁ですし、今まやってきたことをいつも通り、やってみようと思います。あ、でももし受けて下さる方がいなかったら~お客さんとして楽しみます。←自分を追い込まないよういつも逃げ道を用意しています。

私は「いい加減」を追い求めるタイ古式マッサージセラピスト。目的達成や症状改善を目指さないからこそやってくる「お釈迦様の慈悲」を受け取って下さる方には手渡せるはずです(笑)。

心と身体を緩めるタイ古式マッサージ 

心と身体が緩むポイントのひとつとして「ゆんたく(おしゃべり)」があります。お客様とのおしゃべりはとても楽しいですし、毎回今の私に必要な情報やメッセージを聞かせていただいております。その時の流れに任せて言葉のキャッチボールをしますが、言葉の使い方には気を付けた方がいいですし、できるだけ不平不満や愚痴は言わない方がいいのかもしれませんが、その日その瞬間に感じたことや思ったことは消化していかないと不完全なエネルギーとしてお腹に溜まってしまいますので、モヤモヤは放出しましょう。言葉はその時だけで消えてなくなりますので、上手に話して上手に聞いて無駄なエネルギーを腹部に溜めないようにします。「おしゃべりしたくない、静かに寝ていたい」という時でも大丈夫。腹部の調整法、ソフトチネイザンがため込んでいるものを軽くしてくれます。

 

私のタイ古式はもはやタイ古式ではないのだろうか?

タイ古式マッサージサロンの面接に行くと必ず「物足りない」と言われる。

昨日、店長さんのはからいでいきなり60分の新規のお客様のタイ古式をやることになった。手技は一切変えず、いつものように仰向けの型のないタイ古式にした。お客様は体格のいい男性で寝息が聞こえてきて、最後にはLOMがよく回った時に出る「魚の呼吸」もあった。疲労感の原因と思われる症状をお伝えすると、お客様も「その通りです」と言っていたけど、技術面を問うアンケートは「悪い」という評価だった。せっかくの新規のお客様だったが、私のせいでもう次のご来店はないかも、、、。

店長さんのように体幹や筋肉のほぐしを意識したストレッチ系の型に変更するべき?研修料金を支払って、1から手技を学びなおし、お客様に求められるタイ古式に切り替えるべきなのだろうか?果たしてそれは私のやりたいことなのか?そもそも私のタイマッサは誰かに必要とされていたのだろうか?帰りの満員電車の中で色々考えると悲しくなった。沖縄での忙しかった日々はもう過去のことで、今の私には何も残っていない。それでも私の気持ちは既に決まっている。宮城先生のナーブタッチに出会った時から「この手技しかない!」と思ってずっとやってきたし「受け入れてもらえない」という現象は過去にも山ほどあって、それでも気にしないでここまで来た(笑)。

それにしても面接をしていただいた店長さんのタイマッサは凄かった。筋肉の反応を読み取り、呼吸に合わせて良い加減に圧やストレッチを調整しながら身体をほぐしていく。きっと身体のことを知り尽くしているのだろう。痛みや刺激は必要最低限で緊張から解き放たれていく感覚があった。今まで受けたタイ古式の中では間違いなくナンバーワンの腕だった。でも、私が今後店長さんの研修を受けたとしても、彼のようにはなれないだろう。なんせ私はタイ古式をやったことのない人同然の下手クソさなのだから。先月働いたほぐし専門サロンの店長さんも知識や技術は抜群だった。もちろん師匠の宮城先生も凄い!何が凄いかってお客様の不調に合わせた施術をしないところが凄い。腰が痛かろうが、首が痛かろうが、その部位にアプローチするテクニックなど一切加えず、型も変えず、症状の改善が巻き起こる。曖昧ではっきりしない感じでその時をやり過ごしてしまうところが素晴らしい。私はそんな先生に「型もやりたいものだけでいいし、覚えなくてもいい」と教わってきたのだから、タイ古式が下手クソなのは当たり前なのだ。では私の習得したタイ古式とは一体何なのか?ナーブタッチは「何かを成し得たい」という欲をコントロールするためのトレーニングで、欲を捨て、何かを目指さないようになれた者には受け取ることができるギフトがある。タイ古式の中には無限の可能性があり、それらはひとつの方向だけを見ないことによって視えてくるもの。症状の改善はギフトのほんの一部でしかなく、その目的に向かっていくと他のギフトがあることにすら気がつかなくなってくなってしまう。

というワケで、私は自分の手技を変えずに受け入れてもらえる場所を探していく。自分のタイマッサができる所ならばどこでもいいし、何でもいい。そんな所はないかもしれないけど、あるかもしれない。私もブッタのように多くの素晴らしい師匠に出会いながら、修行しながら、自分の行きつく先を目指していこう。ただし、どこを目指していくのかは決めずに歩んでいく。

久しぶりに聖☆おにいさんでも読もうかな。イエスとブッタはとなりの立川に住んでいる。確かブッタがタイマッサージを受けに行く話があったはず。でもそのタイ古式マッサージは私の知っているそれとは違っていたっけ…。あ~ぁ、なんだか切ない。